九九六年前半、ラジアハンド国ステンダー領を疫病の猛威が襲った。半ば閉塞されたような山中という土地柄からか、他の地域へ広がることは防ぐことができたものの、多くの領民はもとより、国内きっての名門の一つであるステンダー家の後継候補の大半が命を落とすなど、被害は甚大であった。
その疫病の流行の初めごろ、小さいながらも領主一族の住まうストーク村で、一人の白い赤ん坊が生まれた。もとより朴訥な田舎の小さな村の人々はそれに恐れおののいた。
本来在るべき色を奪われた、神の恩寵なき、あるいは神々に認められざる子供である。でなければ魔性に魅入られた呪われし者である。
収まる気配が無かった疫病への恐怖とあいまって、それはそのまま疫病の元凶と考えられた。
その結果、ただでさえ平常心を欠いていた人々は白い子供とその母とを生け贄に、あるいは元凶として断つことで、恐怖と現実から逃れようとしたのである。
ステンダー領主は領内全域への対処で手一杯で、細かいことにまで気を回している余裕はなかった。
ラジアハンド王国本宮の行政府は他所への感染を防ぐのに必死であった。
白子の母子が恐怖と妄信から火焙りという私刑によって死を遂げていたと公式に判明したのは、疫病が治まり、各所の被害や領主の後継問題などがどうにか落ち着
きはじめた碧月の半ばの頃に、ようやくのことであった。
それも、すでに四年も前のことである。
「……だからフォルクス――あの白子の青年を、ステンダー領内はもとより、ラジアハンド国から早急に追い出せと、領土監査官どのはそうおっしゃるのか?」
疫病の猛威の果ての生き残りとして領主世継ぎとなったエーリック・ステンダーは不機嫌な口調で復唱した。ただでさえ苦手な行政処理の合間に対応を強いられた相手は、国王行政府から地方領の政治の監視として派遣されている役職の人物である。往々にして、そういう立場の人物と地方領の政務に携わる者とが仲が良いということは滅多にないし、ステンダー領もその例に漏れない。
「左様です。お若いエーリック殿にはご不満かもしれませんが……」
初老に入りかけている貧相な容貌の監査官は揶揄するように言った。
「かような者を国内に放置して、万一の事態を招くようなことになれば、何といたします? そうでなくとも、人の目に触れて民の心をいたずらに惑わすことを、ステンダーのお世継ぎは良しとなさいますか」
「“万一の事態”とはどういうことか、意味が判らん」
行政処理も苦手だが、こういう奴がいるから嫌いなのだ、こういう役職は。何か他の腹があってか、それともただ若造のすることが気にくわないのかは知らないが、何かを見つけては難癖を付けようとしてくる輩を相手にするのは気分が悪い。
「彼らは舞会に招かれた客人だ。それも、諸般の手続きこそ当家のアーリン・クランが行っているが、招待はビショップ猊下のご下命あってのことと聞く。どちらにせよ、俺の独断ではどうにもならんな」
「此度は猊下のご酔狂にもほどがありますな。わたくしめは四年前のステンダー領の如き惨禍をこそ憂慮しております。古来には惨禍の元凶と成りうる者はそれより以前に処分した例も……」
「監査官どの」
エーリックは語気を強めた。監査官はつまり、こう言っている。禍の源と成りかねない不吉な白子などさっさと処刑してしまっても良いくらいだ、と。
「彼はアスリースの王都の生まれと聞くが、彼の生まれ年にもその後の彼が訪れた地にも、取り立てて呪い云々に類するような話を聞いた覚えはない。
そもそも、彼らは国外でとはいえ一度は猊下のお目通りを得ている。
俺はレイチェル猊下という方を直接にはよく知らんが、かの白子が貴公の懸念するような禍を運ぶ不吉な、あるいは悪しき者であるなら、それが進入するのを看過なさるとか、排除するのを躊躇われるような御方であるという噂は、ついぞ聞いた試しがないのだが?」
監査官は黙り込んだ。
「どうしても不安とおっしゃるなら、俺などではなく、国王陛下なりビショップ猊下なりに進言しご指示を仰げばよかろう。そのほうがよほど確実だ」
強引な屁理屈と他人の権威を振り回して監査官を部屋から追い出してしまうと、エーリックは盛大なため息をついて、疲れた、とわめいて、傍らに控えている、というよりさぼらないように監視しているドワーフ族の中年の男を振り返った。
ステンダー領のビショップ格クレリックの方の地位には代々ドワーフ族が就く。人口構成の六割の方を配慮してのことである。そのクレリックのギルクはその目の言いたいことを無視して、書類の束を追加しながら言った。
「どういうつもりですかな、あれは」
恨めしげに、職務に忠実なドワーフを見やってから、エーリックはその束に目を落とつつ、大した意味ではないさ、と肩を竦める。
「何かで影響力を示したかった、ってことだろ? 俺でもやりこめられるような御仁なら、アーリンあたりにはぽんぽんとやっつけられてるのと違うか?」
ギルクは否定しない。
「しかし、それでは舞会は大丈夫ですかな、あの青年」
確かに、とエーリックは頷く。
「王宮で部外の者が目立つのはどうか、ということです。多少のことでも口さがないもののある所ですからな。ましてあの容姿では……」
それも田舎の村での迷信ゆえのこととは違い、特に自らより下層の者に対しては、まさに誹謗するための誹謗というのが蔓延しやすい。
「うちを蹴落としたがって上手くいかん連中とか、猊下に反感を抱いていても何も言えんでいるような輩には恰好の獲物かもしれんな。変わりに、腹いせに、ちょっと嫌がらせをしてやれ、というには一番あとぐされがなさそうに見える相手だし」
それから、エーリックはいたずらっぽく笑った。
「だがそいつは俺の責任じゃない。レイチェル猊下やその側近か、それともアーリンか、とにかくあいつを呼んだ本人たちが考えて然るべき問題だ。
まぁ、よほど何かが起こらない限り、陰口がせいぜいで、火焙りだ追放だなんて話は出てはこないだろうがね」
あまりにも無責任な言いように目をむくギルキスに、どうせ今さら心配しても無駄だよ、とエーリックはもう一度、肩を竦めた。
当のフォルクスは、自分を追い出せだの殺せだのという話が出て、消えた、などということなど、むろん、知る由もない。ただ、出歩くのに少しばかり人の目に違和感を感じていた。
いや、異郷ではこういう目が普通なのだ。人の多い都市や長く住んでいた街ででさえ、無縁ではなかった奇異の目だ。ただ、旅に出てからこれまでに出会って直接関わってきた人々のほとんどが運良く、ひときわ寛大であっただけにすぎない。
リオに声をかけて村の外へ向かったのは、何か漠然とした予感に誘われてのことである。たまにあることだが、精霊の声を聞くのと感覚が似ているので、案外、無意識にそういうものをくみ取っているのかも知れない。
さすがに昼間は開かれている門から外に出た、その視界の頭上方向に何かが引っかかる。見上げて、ぎょっとした。
人間が落ちてくる。しかも、かなり高い所から。
とっさに、風の精霊を繰って受け止めてやる。
どうやら完全に意識を失っているそれは、見覚えのある少年だった。
「心配はいらないよ。いわゆる、魔力が尽きた、というやつだね」
そう言って、ふぇふぇっ、と笑ったのは、もう隠居暮らし同然だというステンダー領のビショップ格ソーサレスでアーリンの師にもあたる、メイヤーという老女だった。
空から落ちてきた少年――アルフェリアを連れて帰ると、最初にエーリックがやってきて、彼がこの老女と同格のクレリックだというドワーフに引きずられてるように出ていったあとで、彼女がやってきた。どちらも言ってみればお偉方であるから、この少年の状態は何か深刻なものであるのか、と最初は真剣に心配したのだが、本当のところは「なに、仕事嫌いで好奇心旺盛なエーリック殿が様子見と言ってやってきたら執務室に追い返すためさね」ということらしい。
ところで、とメイヤーは言った。
「この坊やは本当にノーティスというのかえ?」
「……どういう意味ですか?」
主君筋であるエーリックには対等でその家臣である彼女に敬語というのも妙なものだが、フォルクスはそう聞き返した。
皺の深い老女の顔の表情は、奇妙に読みづらい。メイヤーは、アルフェリアの右の二の腕を指した。
「古風な習慣でな、お家の嫡子や世継ぎに印を刻むことがあるのじゃよ。
たとえばエーリック殿も四年前、お世継ぎに決したときに左の下腕に当家の紋章の刺青を刻まれた――ステンダーは武門じゃで、利き腕を傷つけることはせんからね」
示された少年の腕をのぞき込む。深い傷跡のような、だが言われてみれば紋章のたぐいに見えなくもない。
「坊や自身は剣を持ってるが、右腕ならお家は武門じゃないね。空から落ちてきたというとソーサレスかねぇ。魔術師でこういう習慣が残っていそうな古いお家も世の中にはいろいろあるはずじゃがね……こういう形の紋だとアスリースの……」
「アルフェリア・ノーティス」
老女の言葉を遮って、フォルクスは言った。メイヤーの口から続く名が「ランディ」であることは、直感でわかっていた。
内心、冷や汗をかいている。この少年の出自について、予想はしていたが、確証は無かった。それが今、与えられた。
『長男に跡を継がせたい奴もいるんだが、継がせたく無いって奴もいて……』
しばらく前に出会った友人の言葉を思い起こす。
『見つけ出して邪魔者を消しちまえって奴も……ってな』
「俺は紋章のことは知りませんが、少なくとも彼の名はそれに間違いありません」
「……聞かない名だね」
僅かな間の沈黙。老女はもう一度、ふぇふぇっと笑った。
「まぁ良いさね。アーリン嬢やの友人が言うなら、この坊やはノーティスで良いのだろうさ。あの娘の人を見る目はあたしが鍛え上げたんからね」
言って、メイヤーは立ち上がった。
坊やの目が覚めたらこれを飲ませておあげ、と小さな瓶を渡される。濃い琥珀色の液体が入っていた。
「“ジンカ”といってね、ジール酒から酒気を抜いて魔源の素を濃くしたものだよ。酒と違って美味くはないがね」
じゃあちゃんと看病しておやりよ、と言い残して、老婆は部屋を出ていった。