ファンタジア

フォルクス31

「こいつは興味本位で聞くんだが……」
 不意に、妙に真面目そうな口調になって、エーリックは言った。
「お前、いわゆる戦いってこれまでにどれくらい経験した?」
 さっきから文句ばかり並べていたフォルクスはあまりに唐突な問いにきょとんとして、それから少し考えて、説明しながら数え上げる。
 “戦い”というからには喧嘩やちんぴらとの諍いは抜き。となると、全てこの旅に出てから、ということになる。最初にリオと出会ったときのアスト王子の事件、それから彼女を追ってきた騎士たちと二度、海上での海賊との接触戦、そしてこの山脈に入ってから二度。
「……それだけか、たった」
 拍子抜けしたように、エーリックは呟いた。
「……実は自殺願望なんぞ持ってないよな」
「何で俺が? だけ……って、ひと月無い間にこれだけあれば充分だと思うけど?」
「いや……まぁ、な」
 言葉とは裏腹に、エーリックは腑に落ちない。たったひと月、たったそれだけの経験しかないにしては、フォルクスの判断はいちいち適切すぎるように思えた。
 自分の初陣を思い出す。初めての“戦い”――殺し合いの場に出たのは十四の年。必死になって平気なふりはしていたが、怖くて仕方がなかった。模擬戦とは違う、独特の殺気。知っているはずの血の臭いに咽せかえって、吐いた。
 見るからに無理をしていると判る真っ青な顔をしていたのをさんざんからかった後に「たいてい誰だって、初陣の頃はそんなもんだ」とどんでん返しを打ってくれた、比較的年の近かった騎士は、確かグレッタではなかっただろうか。
 そんなときには、とても最初から冷静に判断などできるものではない。幼い頃から、いずれは戦場に出るべく教育を受けてきたエーリックでさえそうだった。
 あるいは、とエーリックは考えた。このフォルクスという奴は、本人が思っているよりも遙かに、自らの生命への執着が薄いのではないだろうか。市井の生活では、それでも問題は無かったかもしれない。だが、今後の彼の歩む道によっては、それは酷く危険なことであるような気がした。

 日が落ちてしばらくして、ようやく目の前に人の手による火が見えた。
「やっぱりここに出たか」
「やっぱり、ってあんた……」
 小さな村、とエーリックは言ったが、そこは村と言うよりちょっとした要塞のように見えた。ぐるりと壁が取り囲み、門の前には見張り兵が立っている。
 門は日が落ちているのだから当然のように閉まっていた。見張り兵は不信の色をあらわにして、やってきた三人へ誰何する。
 新顔かな、とか何とか口の中で呟いて、エーリックが進み出た。
「エーリック・ステンダー。上官に名前を出せば判る」
 名乗った時点で、衛兵の態度が急変した。一応確認します、と一人が中へ報告に走る。国境に間近い所だから警備が厳重であるのは仕方がない。
「ステンダー?」
 フォルクスはそう名乗った青年を見た。それはアーリンの主君筋にも当たる、ラジアハンドの中でも大領主の家名だ。たしか最初は「エーリック・クラン」と名乗ったはずだったが。
「“クラン”ってのは母方の姓。別に隠したかったわけじゃないんだが、さすがにふらふらしてる時にステンダー家の名をばらまくのはちょっと、な」
 軽く苦笑する。さらに、一応は領主の跡継ぎということになっている、ととんでもないことを言い出す。
 一転して丁重に迎え入れられた壁の内側は、確かに彼の言うとおり、ほんとうに小さな村の様相だった。
 たいてい誰も信じないんだが、と前置きして、エーリックは言った。
「この小さいストーク村が、ステンダー領の領主一族が住む館のあるところ」
「……嘘だろ」
 ほら信じない、とエーリックが面白そうに笑う。
「公式の行事や王宮がらみの客人を招くのに使う城館はそれらしく偉そうなのが、別の所にあるんだけどな、実際の住処はこっち」
 これは現在の五大国制確立以前からの慣習だとエーリックは説明する。
 現在はクラリアットとラジアハンドの国境を成すこの山脈の大部分の鉄鉱山を領有するステンダー領は本来、暗黒の時代にこの一帯の山岳民が身を守るために結束して一国の形をとったことに由来する。なにしろ刀剣甲冑の原材料の宝庫であるから、人口構成の六割がドワーフ族であり、また地理の不便にもかかわらず、群雄割拠の時代には真っ先に狙われる土地柄だった。守りきるには自然、強い武力もさることながら、駆け引きが必要となり、国力と権力を誇示するための本城は大きく立派なものに、しかし防衛の指揮をとるべき領主はなるべく国境近くに居を構えたのである。
 誇り高き山の民は人もドワーフ族も暗黒の時代が終わるその最後までどの勢力にも屈せず、最終的にラジアハンドの傘下へ下ったのは、より強力な権力と決定権を持つ国王の下での方が山岳民たちへの領土の安堵の誓約に信用が置けるという判断からであった。
 現在でも、ステンダー領はいざ隣国との争乱になれば、立地的にも戦力的にもラジアハンド王国の強力な楯となり、他もさることながらそれ故に、その領主は田舎領地と呼ばれながらも王国内では重鎮の椅子を確保する。
「ひょっとして、あんたってかなり偉い貴族さまなのか?」
 これは態度を改めた方がいいのか、と考えながらフォルクスが訊ねると、エーリックは悪戯っぽい笑みを浮かべて先手を打った。
「否定はできんが、王宮でだろうが何だろうが、今さら白々しく敬語なんぞ使いだしたら締め上げてやるから覚悟しておけよ」
 すくなくとも、かつてのレイチェルに対するルンドとは正反対の哲学の持ち主らしい。
 ともかくも、フォルクスとリオはこうして、ストーク村で“領主の若様の客人”という身分に据えられることになった。その扱いは丁重だったが、そんなことよりも何よりも、疲れた身体には風呂と寝台とがありがたかった。

 翌朝、エーリックはどこからか薄く削った木でできた箱をもらってきてリオに渡した。彼女がずっと大切そうに扱っていた、あのアルケミストの実験室から持ってきた枯れないアカシアの花を指して、持ち歩くならこれに入れておけよ、と言った。
「あ……なるほど。それなら潰れずに荷物に入れられるな」
 フォルクスが手を打つ。
「貰っとけよ、リオ。気に入ってるんだろ、その花」
 言ったとたん、エーリックに束ねた髪を引っ張られて引き寄せられる。
「おい、白ウサギ」
 リオに聞こえないように抑えた声で言う。
「お前、もっと別の言いようがあるだろうが」
「別のって……ああ、学術研究的にも価値のあるものだけど、リオにはそんなこと関係ないだろう?」
「…………もういい」
 エーリックの声は思いっきり脱力した体である。頭の中ではこの馬鹿だの朴念仁だの鈍感だの悪口雑言が渦巻いているが口に出す気力もない、というあたりだ。
 訳が判らずにきょとんとしたフォルクスは、それから、出発は今日か、明日にするかを訊ねた。
「それが……悪いんだが三、四日暇をくれ」
 舞会にはそれでも間に合うから、と言う。
「いいけど、何で?」
「もう王宮へ行ってるおじいさまに回す案件いくつか、俺で間に合うから片づけてから行けって言われてな」
 これから書類と格闘、とエーリックは言って、たまに帰ってきたらこき使おうとしやがる、とか何とかさんざん愚痴を言ってから出ていった。

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