碑文『コルトルリーグル』にこんな記述がある。
『我我の懼れし存在。不老にして不死なる体を持ち、あらゆる魔術を使う。
左手の一振りは山を砕き、右手の一振りで海を割き、その眼光はあらゆる獣を従わせる。あらゆる物の法則を覆し、卑金属を金に変え、全知全能の法を知る。神聖にして邪悪なる太陽と月よりの使者にして、絶望と恐怖を掲げる。
その者の名は、錬金術師』
このラージバル大陸に五王国が完全に定まるずっと前、俗に『古の時代』と呼ばれる時代の記述である。
実は、『コルトルリーグル』に刻まれた碑文はアカデミーの禁忌、タブーである。しかし、それは一体何故か。それもまた、タブーである。ただ事実として、アカデミーに存在するすべての文書から錬金術の三文字はなくなっているのである。
ところで、『コルトルリーグル』は今から六百年前にクラリアットのコルトル城塞都市遺跡で発掘された物である。現在のクラリアット城の西に広がる大草原地帯のど真中に忽然と姿をあらわすその遺跡は、何重もの分厚く頑丈な壁に囲まれている。古の時代からなんと200年頃まで栄えていた国で、滅亡するまで自治権をクラリアットに引き渡さなかった強国であった。しかし、滅亡は早かった。何の運命の悪戯か、それとも神のお叱りで突然の滅亡を向かえるのである。
それから六百年が過ぎ、地方の一農夫がここを訪れた時にはほとんどの物が埋没し背の高い壁の先っちょが微かに顔を出している程度だったという。
それからというもの、何百年もの長きの間繁栄した都市が突然の滅亡を向かえ、たかだか六百年で地の中に深く沈んでしまったという謎に頭を悩まされる者が跡を絶たない。
ヘルメス・トリスメギストス。それが俺の先生の名だ。どことなく中性的な感じのする名前だけど女性である。
俺がまだほんの子供だった頃、訳もわからず命をねらわれたことがあり、その時に助けてもらったのだ。いわゆる命の恩人だ。しかし、この人との関係はこれだけで終わらなかった。何故だか俺は気に入られてしまいめでたく弟子に向かい入れられた、て言うか引っ張り込まれた。それから五年間この人の元で勉強した。
先生はとにかく多芸であった。信じられないレベルの魔法をひょいひょいと使い、剣や槍を鮮やかに振るい、流れるように拳を振るう。妖精と話す事もあるし、獣と戯れる事もある。知識の広さと深さはきっと右に出る者はいないだろう。しかし、本当に驚くべき事はこんな事ではない。俺は先生の側で五年、アカデミーへ行ってからも数回帰って来て見ている。なのに、先生は一向に年をとらない。いつでも俺が初めて会った時のままの容姿で現れた。いつか、勇気を出してこの事をたずねた事があったのだが、姿形に惑わされていては私の弟子なんかやっていけないわよ、とはぐらかされてしまった。もうかれこれ五年会っていないが、きっと未だに変わっていないだろう。
とにかく、謎多き偉大な先生だ。
「『すぐ行く―――ヘルメス』」
「小鳥」サイズのウェノに括り付けられた手紙に大きく書かれた文字を俺はぽつりと言った。
「なんだよそれ」
ハワードさんは医院の方へ行ってしまって、俺が一人で暇していたときだった。俺は一体どうしたらいいのかわからず、手紙を持ったまま立ち尽くした。
『行く』? どこに?
「こういうことよん!」
ドカンと玄関のドアが半回転し、そこに誰かが仁王立ちしていた。
「先生が帰った時にはお迎えぐらいするものよ、セザール」
ヘルメス、錬金術師ヘルメス。その通り名に、「この世ならざる変人」の意味が込められていた事がふと思い出された。
俺は呆然と、先生との再会を果たした。