ファンタジア

セザール13

 出港の日、早朝。俺は何か強烈な夢を見て、目を覚ました。まだ、日も明けておらず外は薄暗い。よほど酷い夢だったらしく、俺の頭は二度寝を許さなかった。
 ふと窓の外に人の気配を感じた。
 こんな朝早く一体なんだろう。
 他の人を起こさないようにできるだけ静かに家から出る。空にはいく片もの雲が浮かんでいるが暗く、その上の空のほうが明るい。中から見た時よりも辺りは明るく、とても寒い。そんな中、港のほうへ歩いてゆく人を時々見た。
 微かに白い息を吐きながら、俺は人が向かう方向へ歩いた。海鳥の姿が見え始めた頃、俺はその音に気がついた。大勢の人がいる音。昼間のざわついたものよりも低く、静かに響いてくる。
 朝市か。
 一つの広場に露店がいくつのも列を作っている。いわゆる、自由市場をいう形式だ。そこに信じられないほどの人がひしめき合っている。見たところ、食べ物を売っている店よりも、衣服や物の店のほうが多い。早朝とは思えないくらいの活気だ。
 そこを抜けると、あまり広いとは言えない通りがあり普通の店が建ち並んでいた。こちらはだいたいが食料品を売っていた。こちらも同じような賑わいで、どこにこんなに人がいたのか疑いたくなる。
 俺はそのあまりの人の多さにふらふらになりながら歩いていると、突然肩を引っ張られた。
「おおう!?」
 人の動きの少ないところに引っ張り込まれ、肩から手が離れる。振りかえると、そこには体格の良い、見るからに『海のおとこ』と言う風格の男がいた。
「ああ! あなたは、えーっと、フォルクスの……」
「はい、バルカスです。セザールさん」
 笑いながら言う。
「どうしたんですか? こんな朝早く」
 人の騒がしさに負けない声でバルカスは言う。
「ああ、いや、ちょっと目が覚めちゃいまして。しっかし、すごいですねここは」
「いつものことですよ、このぐらいは。ここには他の町からも人が来ていますから」
「ああ、それでこんなに」
「セザールさん。これから朝食の準備をするんで、もうちょっとしたら戻って来て下さい」
「あ、はい。わかりました」
 そしてバルカスは、人ごみの中をなれた足取りで行ってしまった。
「あ。一緒についてきゃ良かった」
 一人、この人々の流れを眺めながら呟くが、もうどうしようもない。
 しょうがない、覚悟を決めるか。
「うあっ、疲れたあ」
 死にそうになってどうにか人の少ない広場の出口までたどり着いた。それでも、そこにはいくつかの店が開いていた。
「ん? あれは……」
 俺は、出口のそばにある一番目立たない店に目が行った。そこに並べてある商品の一つに濁った青色の小石があった。
「へぇ…。なああんた、これいくらだい?」
 石を手にとってじっくりと覗くと、歪な形の中心に白い小さな点のようなものが見えた。俺はこの石が何かを知っている。
「50ラージ」
 店の若い男は無愛想の言う。
「おっ、そうか。んーじゃあ、貰おう」
 じゃりじゃりと数枚のコインを手渡した。
 やはり、彼はこの石の正体を知らなかったようだ。まあ、古い船乗りなら知っているような物だからしょうがないのだろう。本当は、この石あんなはした金で買えるような石っころではないのだが。
 俺は少々うかれ気分で帰り道を辿った。

 

 家へ戻ると、フォルクスは既に起きていた。
「おはようございます、セザールさん。どこか行ってたんですか」
「ああ、おはよう。ちょっと朝市にな。ずいぶんとめずらしい物があるもんだよ」
「そうですか。俺は、あんまり行ったことないんです。父さんは俺を連れて行くのを嫌がりましたから」
 そんな暗い話を、フォルクスはしごく平然とした表情で話した。
「…そうか」
「坊ちゃん、朝食の準備ができましたからお出でになってください。お客さまも」
 話が詰まったところで、ちょうど良く中年の女中さんがやって来てそう言った。
「だそうです、セザールさん。行きましょう」
「ああ、そうだな」
 バーム一家の朝食は意外と静かだった。きっと、今日は朝が早いために子供たちの目が覚めきっていないからだろう。海だからと言って、海の幸オンリーではないというのもらしいといえばらしい。
 じゃあ、俺は準備がありますので失礼しますと、バルカスは食事をさっさと終わらせて立ち上がった。
「兄貴、昼前に行けば間に合うだろう」
 パンをほおばったまま、フォルクスが言った。
「あ、いや、できるだけ早く来てくれ。こっちの準備はもうだいたい終わってるからな」
「わかった」
 そうして朝食を終え、バルカスの奥さんと子供たちの準備を待ってから一緒に港へ行った。
 港への道を歩いている間中、子供たちはフォルクスとリオと俺の足元をちょろちょろと元気に走りまわっていた。リオの、その光景を見ている表情が初めうち何やら暗かったようたが、無邪気に足にまとわりついてくる子供たちに次第に柔らかな表情に変わっていったのを見て、少し安心した。
 着いてみてわかった事だが、ここの船着場はとてつもなく広い。右から左まで、巨大旅客船からこじんまりした漁船まで、数多く様々な船が規格ごとに並んでいた。
 バルカスの船は、それらの中でちょうど中間辺りの大きさを誇る細長い船だった。今は静かに垂れている三角帆がそびえ、船体からは一段式の櫂が生えていた。
「ほー、さっすがだな。これだけの船だったなんてな。ちょっとばかり、なめてたなあ」
 俺は舟のすぐ側まで来て、船体をタンタンと叩く。
「そんなに叩いたら穴開いちゃいますよ、セザールさん」
「ははは。良く言うわ」
 フォルクスもなつかしげに船を見ながら言った。
「あ、来たか。さあ、もう準備はできてるから乗ってくれ」
 舟の中からバルカスが顔を出して言った。
 日は、一番高くなるまで後少しのところまで上っていた。
「…セザールさん。いろいろありがとうございました」
 フォルクスが船への橋の前で言った。
「いや、俺も楽しかったしな。ああ、そうだ。お前たちに餞の品があった。えーっと、ほれ」
 俺はバッグの中から大きく膨らんだ巾着袋を取り出す。
「まあ、救急袋だと思ってくれ。薬草がいくつか入ってる。使い方と効用も書いといたから後で見とけ」
「え、あ。こんな、もう餞はしてくださったじゃないですか」
 フォルクスは異様に膨らんだ袋を差し出され、少々戸惑いながら言う。
「いいから取っとけって。俺はこういう性格なんだから」
 そしてもう一つ、手にすっぽりと入る程度の大きさの石を取り出す。
「ほれ、これもだ」
「これは?」
 手渡された黒と青を混ぜたような濁った色で、微妙に透けて見える石を眺めながらフォルクスは言う。
「知らないか? こいつぁな、『灯台守の心』なんておかしな別名を持った石さ。本当の名はすっごい長いから聞かないでくれ。何百年か前には、船乗りなら誰しも持っていたんだけどな。今はずいぶん少なくなってる。これには神力が込められていて、船に迫る危険を察知してくれるんだ。おまけに、持ち主を護ってもくれる。すっごいお守りだ」
「本当に、お世話になりました。またいつかどこかで会いましょう」
「ああ、そうだな。リオさんもな」
 フォルクスの側にいたリオは頷き、
「今まで、ありがとう」
 と、言った。
「いいってことさ」
 二人が船に乗り込んでからしばらくして、船は少しずつ動き出した。フォルクスが船から手を振るのを返しながら、船が港から出て行くのを見送った。
 俺は、二人に行く先を思いながら、幸運を祈った。

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