ファンタジア

フォルクス22

『……つらい?』
 つらいだなんて、思ったことがあったか?
『本当は、白子である自分をちゃんと受け入れてほしい?』
 受け入れられていたら、俺は兄貴たちと同じような育てられ方をされていたのか?
 つらいと思ったことがあるとすれば、それは母親の理想の子供になれなかったことくらいだ。鏡を見ればわかる、真っ白な人間なんてのは、長くホルマリン漬けにされて脱色されたヤツが出歩いているようなものだ。
 見当はずれの同情なんか、迷惑だ。俺が当たり前で、ふつうだと思ってることを、わざわざ悲惨に見立てられても、いったいどう反応しろというんだ―――フォルクスの思考は、そう声を上げる。
『誰だってありのままの自分を見てほしいものだと思う』――そうかもしれない。だが、それがいつも身近で感じられる精霊たちでなく、人間である必要を感じたことがあったか?―――否。
『――つらい時は、力、貸すから』
 それなのに、そのたった一言だけに、ふっと気分がゆるむのは何故だろう。
(……あいつにも、何かあるのかな?)
 半ば自らの状況からの逃避のように、そんな答えにたどりつき、苦笑した。あれだけの様々な状況があって、彼女自身に何もないわけがないではないか。

 

 海上に出ると、日差しが強くなった。船室も悪くは無いが、本来が人を運ぶための船ではないから、中ばかりにいては息がつまりそうで、フォルクスは甲板の日陰に陣取ることにした。いかに精霊の加護があるとはいえ、やはり強烈な日差しには弱い。
 旅の餞(はなむけ)に、とセザールから渡された薬草の説明書きを感心しながら読んだり、手渡された『灯台守の心』という石を日に翳してみたりひっくり返して見てみたりしている視界の端に、リオと、たしか用心棒のためにのりこんでいると聞いた男の姿が入った。
 酒が入っているようだ。それだけならともかく、彼女に絡んでいるふうなのを見て取ると、フォルクスは石をしまい込んで立ち上がった。
「おい。いい加減にしとかないと…」
 リオの背後から現れる形で、相手に反応を示さないようにしている彼女を背にかばうようにして割ってはいる。
「へん……取り澄ましてバカにしやがる嬢ちゃんに注意して何が……」
「兄貴か親父に、人を変えろと言ってもいいんだぞ。船主の息子の連れに手を出すような用心棒が信用できるかよ」
 相手は黙り込んだ。鼻持ちならない方法と言われかねないが、竜の威を借りるのも時よりけりだ。元々、船の積み荷さえ守れれば良し、という人選だろうから仕方がないのだろうが、これで殴りかかってくるような奴なら返り討ちの上に本当に、などと思っていると、背後から豪快な笑い声が聞こえた。
「やめとけよ。バームの末の坊ちゃんっていったら魔法を使うんだぞ。あんたじゃ勝てん」
「見てたなら止めてくれよ、船長」
 この船を共同で持っている商人たちの合意で船を託されている船長は、肩を竦めて、今見たばかりだ、と言った。
「この船に女性が乗るなんて滅多にないんでね。ま、坊ちゃんのお連れには絶対に寄るも触れるも止めろと、改めて言っときまさぁ」
「ああ。破ったら俺が火ででも炙ってやる、って言っといてくれよ」
 苦笑しながら了承して、船長は話題を変えた。
「とりあえず、最初にまともに寄港するのはストレシアの主港です」
 手すりにすがるように陸地に寄りかかって行くから、何か危ないことがあったらすぐに仮上陸はするだろうが、と付け加えてから、さらに話題がレクサでストレシア方面から来た船乗りから聞いた噂、というのに飛んだ。
「なんでも砂漠の西の方の町のど真ん中で、伝説の名剣が天に昇った、とかいう…」
「……何だ、それは。昔話かなんかか?」
「いや、ついこの間、くらいの話だそうで」
「昇ったのは在村銘の剣だ、って俺は聞いたぜ」
 フォルクスに言葉でやりこめられていじけていた酔っぱらいの用心棒が言った。
「それに、剣だけが昇ったんじゃねぇで、天使ラミスサイヤが神様の国で使うのに持ってったとか……」
「……おいおい。おとぎ話じゃあるまいし、天使はないだろ、天使は」
 よくはわからないが噂話特有の方法で凄絶に変形しているには違いない。が、珍妙に変形したらしきこの噂は船乗りたちの誰に聞いても知っていて、しかも知っていることがみんな違う、というありさまだった。
 曰く、天使は白い悪魔と対決中だったそうだ、とか、いや仲間の白い天使とともに昇った、あるいは剣とその持ち主を文字通りに天へ召したのだ、云々。
「在村銘の剣がねぇ……」
 ふと、今更に、持っていたはずの剣を忘れてきたことを思い出した。アルサロサの宿から脱出するときからすっかり忘れていた。まぁ、今さら持っていてどうというわけでもないし、と考えていて、ふと思い当たる。
「……リオ。そういえばあのビショップ様って、天使ラミスサイヤの像に少し似てる……か?」
 リオはしばらく考えるように黙っていてから、「もしかしたら、たぶん、なんとなく」という返答が帰ってくる。元々、一緒にいたのはわずかな間だし、雰囲気もまるで違えばリオ自身が人を観察する方ではないので、無理もない。
 名のある剣が天、というか、空の方向へ消えていった、という点では、かつてフォルクスが持っていた剣のことに符号すると、言えなくもない。まともな人間の頭で考えるのならば、確かに、何故かどこかのビショップが移動魔法で持っていった、というよりは、神秘かなにかのせいにしてしまった方がまだ、納得できるのかもしれない。
 あの剣“在村の宝刀”自体はどうなったかな、と考えかけて、やめた。名刀というものは人を自ら選ぶ、という言葉がある。ならば自分の手元に長くは無かったのも当然だ。第一、どうせ盗品か何かであったに決まっている剣など、持っていてもろくなことにならなかったに違いない。それどころか、下手に自分の名前があの剣に何かの形で関わって付くようなことがあれば、状況柄、完全にフォルクス自身が窃盗犯にされかねない。
 ラジアハンドで、レイチェルにあの剣の行方を聞いてみる、という選択肢を、フォルクスは意識的に排除していた。彼女に会うということすら、意識の外に置こうとしている。第一、いったいどんな顔をして、どんな態度をとって会えというのか。そう考えている。
 誰かがそんな素性も知らずにでも持って行っているなら、たぶん、その方がいい。
 盗品に手を出せばろくなことにはならない。それは、ほとんどフォルクスに関わろうとはしなかった商売人の父親が、ほぼ唯一、彼に教えたことだ。
 全く、砂漠に出た頃の自分は本当にどうかしていたのだ。まともな状態であったら、だから絶対に盗品らしきものになど触れはしない。
 砂漠の時と同じように、海の風も森の風とは全く違う。
「リオ」
 海の風の精霊の、やはり異質な雰囲気を感じながら、フォルクスは唐突に連れの少女へ呼びかけた。
「ありがとうな。おかげで助かった」
 まっすぐに見上げてくる目は、ほんの僅か、怪訝そう表情を宿している。
 リオがいてくれてよかった。そう思った。砂漠の時は、気づかなかった。知らなかったから、気付けなかったのだ。ほんの僅かでも、意志を伝えられる相手が存在しない、“寂しい”という状態に。
 そんなことまではリオに言うつもりは無かったから、別のことを告げる。
「何かあったら、言ってくれよ。俺もなるべく何でも、できることならあんたに力をかすから」
 数日前の言葉の返礼であると同時に、本心からだった。
 このとき、仕舞い込まれてしまっていた『灯台守の心』がかすかに、小さな光を見せ始めたことに、フォルクスはまだ、気づいていない。

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