まずは事象の整理だ――
「確保しておくべきことは発端だ。それに縛られてはならんが、微量は覚えておかなくてはならない。始まりには様々な欠片が詰まっているものなのだからね」
発端。
自分にとっての発端は港町バッカスを旅立った事だ。しかし、その時既に異変は起こっていた。寒冷化、山犬の下り、魔術師二人の殺害。その情報の伝達で、バッカスからの商人はアディンバルへと向かわなくなった。恐らく情報は自分が旅立ってすぐに有翼人の伝令か何かで伝えられたのであろう。幾ら何でも自分がそういう話を聞き逃していたとは思いたくない。……だとするとバッカスでは自分の安否が気遣われているのか。それは本意ではない事である。
事件は自分より先に動き出していた。
覚えておく。
「事象は挙げておくべき事柄だ、と。何が変で何が変ではないのか、それから薄絹は晴れていくものだよ」
事象。
先の通りだ。
寒冷化。山犬の下り。魔術師二人の殺害。
それからもある。山神の衰え。風の停止。早過ぎる冬の到来。そして――町の人々の消滅。
『食らうのではないかい?』
そう瀞は予測した。自分もそう感じていた。しかし。
食らうのは誰か?
鬼。
魔術師を襲ったのも?
鬼。
山犬を山から下ろさせたのも?
鬼。
山神を弱らせたのも、冬を急かしたのも、町の人々を消したのも?
鬼。
単純過ぎた。
「何がおかしかったのかが解かればいいものだよ。取り返せない誤りは取り返す最大限の努力をすればいい。それでも認められないのなら、『何をすべきか』を考えればいい。それでも駄目なら……落ち着くべきだね。一年でも十年でも悩み続けて人が自分を忘れるまで――忘れてもなお悩めばいい。その後は自分で見出すのみだよ、名も知らぬ奇怪な槍使い君」
始まりだ。
自分とは違う所での本当の始まり。それは何だ。どこから始まっていた?
魔術師。これは表に出た事象だ。表に出たという事では間違いなく『始まり』。
寒冷化。これはいつからかが判別つかない。始まっていた事を証明するには事足りない。
風の停止? 上に同じだ。冬の到来も然り。
山神の衰え? 昌以外の誰がその事を知り得る? 感応力の強い者がいたとしてもテーヴァには霊術衆というれっきとした部隊がある。彼らを信頼している大多数の民衆が、小人数の主張する天変地異などを信じるであろうか。信頼していないとしても一人二人が騒いでどうなるというのか。終末思想などはテーヴァ開国でその愚かさを浸透させているのだ。民は確実に育っていく。
山犬の山下り。自分にとっての『始まり』。だが全体にとっては……曖昧だ。魔術師の後の事象でしかないし、気づいていてもそれが異常だ、と確信できる人物も少ない。つまり、『始まり』だった可能性がある。それだけの事。
何故群れている?
山犬は自活できる範囲でしか群れを作らない。狩をするものに養い切れるものを加えただけの頭数、それだけだ。
それが何故、何頭も何頭も?
血だ。
流れない、噴出さない、身の暖かさを保つ事のない血だ。
死んだ血だ。
判っていた。猟師として奴らの異変に気づかない訳がなかった。
気づいていた。だが、解からなかった、判らなかった。奴らを動かす異術が。だから考える事を延ばしていたのだ。
「助言者はどこにでもいる。話せばいい、わからぬことを。誰にでも、とは行きはしないがね。全ての人間が雄弁な助言者だとしても、全ての助言者が有能だとは限らないのだから。そこは……そう、見る目、そういうものだ」
「異術。これだけの数の山犬を殺し、屍骸を使役し得る術。それは……何だ?」
「ふむ、大丈夫だよ。私はアカデミーでも寛容な者として通っている人格者だ。やぶからぼうにそう無愛想な口調で訊ねられたとしても答える用意がごまんとある。……で、何だね? この獣たちを人形として操る術、かい? 私ごときが『知っていていい』術の中には……無い。そんな国家レベルでの混乱を招く術など一介の新任導師が知っていていいはずがないのでね」
「無い、とは言い切らない、と?」
「絶対などがあっていいのは『絶対』が『絶対』に無い、ということだけだよ、名も知らぬ奇怪な槍使い君。そうだね。思い当たる節は……無いこともない」
「それは――」
「急かすね君は。先ほど言ったはずだが……まぁ今はいいことだね。そう、本題だ。ここからは私個人の見解と研鑚の結果を云う。そのつもりで聞いてほしい」
「――――」
「ラージバルには、幾つもの絶えた古術や未だ知れぬ異術が存在している。君が動く理由になったこと――推測だがね――アカデミーのソーサラスたちのやっていたこと、聞いているね? 僻地観察員。それの主目的は明確な調査ができていない僻地の総合的な調査だが、それ以外にも目的がある。未踏の古遺跡の発見とその権利の確保だ。テーヴァの代表例と言えばそうだね……<幻刀窟(げんとうくつ)>や<彼岸棟(ひがんむね)>、<『オン』の隠し里>などが最高位の遺跡となるか。それらは辛うじてテーヴァの管轄とはなっているが、その一階級下ともなると悲惨なものだよ。テーヴァという断崖と山脈に閉鎖された国は、神の力が他国よりも身近に感じられる国だからかね、『神創りし遺物』には禁忌的な不可侵の心理がはたらいてるようで出遅れた。適切じゃないな。……うむ、そう、混乱していた。『なぜあの異人たちはすすんで禁忌を侵そうというのか』、とね。だがね、それは考え方の違いが先を決めた多くの例の一つでしかない」
そこでクーバー=コントレルホは一息をついた。
一息。
「傀儡(くぐつ)。それに派生する術は、ある。後継を断とうとしている召喚術、『描き』の技が滅した言霊、名も知れぬ気まぐれな希少精霊に頼りし異霊術など。そのどれもが人知を超越した『絶対の術』であり……アカデミーが存在を秘匿したがる『絶えし術』なのだよ。傀儡の術は召喚術の基本、現代の魔術にもその形跡は残っているほ程度のものだ」
一息。
一息?
「要すると、傀儡からは原因を解き明かすことは不可能、ということになるね。他の事象を当たることを奨めるが……不肖この私がとぼしい助言をあげるとしよう。
一つのことが連鎖して何かを起こすこともあるのだよ。
世の中とはそういうものだ。一つの考えに固執することはお奨めできんがね」
一息。
一息!?
なぜ一息などができる? 神速の太刀を振るいながら、なぜこうも語れる!?
リョウルクは伏せていた顔を勢いよく上げた。
「頚部の負傷は痛くもあるが……不便であることが肝要だ。そう、首とは人体でも意外に動く個所だ。……む、リズマンの場合は……わからぬが、な。だから、私は頚部の無理な使い方は推奨しがたいが、」
何かまた解からない事を喋っているがそれは関係ない。自分が見たかったものは、なぜ彼が呑気であるか、ということであって戦闘の最中に落ち着ける人間などは人としての規格に収まらない者……
広い視界が人影を捉える。
獣人が二人いた。
背の高い剣士もいた。
昌。
瀞。
いつのまにか二人がいた。
クーバー=コントレルホがこちらを向いて――複合的な獣の顔をしている事が判った――胡座(あぐら)をかいている。
二人が“山犬”を防いでいた。