ファンタジア

リョウルク48

「いい。考えてな。今はお前さんが一番近い所にいるはずさね。黙って何も気兼ねせずに考えな。それがお前さんの『やるべき事』さ。それが仕事、やらなくてはいけない事。覚えときな」
 瀞の背中がそう語った。力強い剣戟が“山犬”を斬断している。テーヴァのものではない直刀が時に鋭い直線を描き、時に柔らかい曲線を描く。
 ごく真っ当な剣法。
 おしゃべりなアカデミーの人間の異常な剣技を見た後ではそうとしか感想が言えない。
「そのとおりだね、奇怪な槍使い君。私には、何故かここで夜盗られし町における宿のお嬢さんが痛そうなロングソードを振り回している理由が皆目見当もつかないのだが、そんなことはすっぱりと忘れたまえ。往々にして悩みというものは一つでも沢山なのだよ」
 何だかよく解らない。が、とにかく考える時間はあるらしい。作ってくれるらしい。
 もう一人の獣人が、言う。
「……ここの山神は強き力を持ちし神。神とは天地自然に影響を及ぼす巨きし(おおきし)者。その者が弱まる事は神の創りし自然においては……無い」

 神は人為的に弱められた。

 恐るべき事である。『神創りし遺跡』にさえ不可侵の精神を持っているテーヴァで神落とし、とは……。
 思考がつながる。
 山神が弱められ、自然が狂い――急激な冬、風の停止、それによる生態系の異常で山犬の獲物が無くなり里に下りる。それが自分の遭遇した事件の始まりだ。
 解かる。
 全体の始まりは『山神を弱らせた事』だ。
 そしてそれは『鬼』と『傀儡(くぐつ)』に関係がある!
 いや、それどころか『鬼』を造りし『傀儡』の禁術が『山神を弱らせた』のではないのか!?
 故意に!

 どんな策謀なのだ。
 どのような大それた策謀が、どれほどの重大な目的が、どこまで大切な信念が神をも巻き込むというのか。
 神さえも利用しようというのか!
 神をも仇なそうとしているのか!

「思考に溺れることは奨められないな。思考は選り好みする。ある人にとってはただ『考える』だけであっても、ある人にとっては『考えなければ』となる。そう……嘲りの笑みを浮かべて犠牲者を待ち受ける麻薬のようなものだよ、思考というものは。そういう認識でいたほうがいい。独り善がりになるよりはね」

 !と目が醒める。
 なれぬ思考に取り入れられようとしていた。思考が思考として作用していなかった。ただの思い付きに支配されようとしていたのだ。仮定の上にまた仮定。それは念頭において仮定していなければならないのだ。肝に銘じる。
 だが、今考えられる事は考えた。『傀儡』……その術を使った者が重要な鍵となる。それだけだ。今言えるのは。
「感謝する」
 リョウルクはそれだけをクーバー=コントレルホに言う。
「ふ……む。形はどうあれ感謝されることは良いことだ。する方にもされる方にも、ね。しばらく私は休養するが……いや、怠けるわけではない……君の時間を作るためにあの術などを使ってしまったのでね。……君になら楽に運べるだろう、置いていかないでくれたまえ。……あぁ、口の減らない欲張り君や可愛らしい頑丈君に出会ったら、とりあえず『滅多なことがない限り私を起こさないでくれたまえ』と伝えてくれたら、すこぶる私は安眠さ……それでは数時間後にまた」
 そう長々と言って獣人は早急に眠りについた。
 草の上に。
 リョウルクは突き立ててあった奇形槍を手に取り走り出した。
 言う。
「元だ! 山犬が湧いて出てくる元に何かある!」
 これだけの事しか判らない。
 しかし、何も判らないよりも数段良い。
 その事をディレクセェン=瀞は理解している。
 彼女は直刀を横薙ぎにし、“山犬”を追い散らして、踏み出す。
「リョウルク! 良くやった。そこの獣人拾ってきな! 昌! 突破だ。お前さんの出番さね!」
「承知」
 巨体の獣人が滑稽なほどの勢いで瀞の先に出る。そこに、散らされた“山犬”が集まり――
「……還れ!」
 怒号。
 鮮やかな曲線を描いた昌の丸太のような脚が“山犬”をまとめて吹き飛ばす。山神の武僧たる力は『捻じ曲げし』力を矯正し、死して動きしものを土に還す。流れるように不自然なく続く空中蹴は襲いくるものをいとも簡単に撃墜した。
 止まらない。
 突破の楔(くさび)となってゆくは山神の助けとなる。
 昌は鼓舞の咆哮を発し『鬼』のごとく、突進した。

――神を救おうとするのに、何を恐れようというのか。

 

「ふぅ、あの人はいつもそうだ。無意識で際どいとこに現れる。予知の力でもあるのでしょうかね? 魔術加工の者が」
 山を下りつつ独りごちる。
 流れる緑が油絵のように質感さえ持っているが、関係ない。疾駆の最中に物に当たるような構造はしていないのだ、自分は。
『それは皮肉だなぁ、サラフ。ばっちり聞こえてるぜ』
 突発的に片方の思念。
『いきなり話掛けないで下さいな。一人だと思っているんですからね、私は』
 嘘だ。
『呼び出しといて何言ってやがる。……で、何だ? こっちは忙し……い……くは……ないな』
 思念が濁る。
『良かったんですかね? あれは』
『あいつらの事だ、どうせいつかはどっちかが気が付くさ。気付いたか気付いてないかが判らないよりも、頃合を見てこっちからばらした方が安全ってもんだ。デーレのおっさんもそう言ってる』
『ふむ……一理くらいはありそうですね、良いことです。成長とは』
『上から見るな上から。お前さんとは同じ位の年だろうが』
『私のほうが二十九歳も長く生きているのですよ? 年長者には敬意を払うのがこの国の常識です。ひかえおろー』
『……ここで引いたらいかんのだったなー。ま、いいけどな。あいつは? まだ動きはないのか』
 走りながら苦笑する。
『心配性ですな、君は。動きがあったら貴方にも判るでしょうに』
『その曖昧さが嫌いなだけだ。世界はもっと明確に、だな。明確にしすぎても自分を見失っちゃあ意味ねぇがね』
『大丈夫ですよ。あいつもこいつもね。あの方には注意が必要かもしれませんが、できたとして密告程度でしょう。協調人の所在さえ調べない人間に何ができると? 侮っても侮らなくても器の小さな御仁です』
『その意見には賛成してやるけどな、……ま、いいか。要はあのおっさん次第なんだしな。オレにゃ逃げ道なくても構わんさ』
『そうそ、その意気ですよ』
 走り続ける。
 話し続ける。
『……思念話は時間間隔が狂いがちですね、慣れ、というものがなかなかできない』
『……? お前さんがそんなこと考えるたぁ天変地異か? それとも親父か? 何が降る? 何を降らせるんだ吐け吐けこのやろー』
『引きました』
『…………辛い』
『そですかそれは大いに結構。世界平和ばんざーい』
『引いたぞ』
『あ、別に痛くも痒くも振り回したくもありませんよ。私は強い子ですから。――と、もう着きますよ。さっさと届けたいんで切ります』
『強制切断か? 強制か? 無理やり切るか? 思念を。こらオレ様どんのお話は終わってないのであって玉ねぎ君とにんじんさんと味噌の残りかす君と色んな用途に使われる<白い花の種>さんの一代伝奇大河童話は、始まりの輪切りきゅうり先生の必殺技トランプカード乱れ撃ちの中――って切れ! はよ切れ! だいた――』
 切った。言われた通りに。
「さて――」
 呟く。思念話での話のもう一つの欠点は気せずして慣れるという事だ。時間間隔が普段の会話に対する誤差が大きいために、大分話すと時間が判らなくなる。時間を判断する方法など“自分達”は幾らでも知っているが、一番面倒でない方法で、しかも便利なのが体内時計なのだ。その屋内でも活用できる方法が狂ってしまう事が遠隔思念話の短所である。

 抱え直す。

「峰を下りた、は良いですけど……やはりあの人ですなー。周到だ」
 そう言ったサラフィティス=ストラフティートは背の長刀を音無く抜いた。
 眼が変わる。
 一度たりとも“人”に見せた事の無い眼光でねめつけるのは――

 陰共衆(かげともしゅう)。

 

 武僧という戦種の歴史は深い。神の力が顕現したその時から信仰する者は現れ、そのものに近づこうとする者もまた現れる。信仰を我が道とし神に賛歌を奉る者、それが僧であり、僧から分派し『神を護る者』として新生した者達が武僧――モンクである。
 その技、その力、その心力、それら強きもの全ては神に捧げられた『我』の証しである。
 自衛の力を――必要以上に強い力を持つ武僧は、いつの時代においても国家の下には入らない。往々にして僧とという戦種は国をさしたる物とは考えないし……信仰者の数においては国民数を超える事もあるのだ。そのうえ巨大な建築物である総本山は(神に近づこうと)霊峰に建てられるために、頑強過ぎる砦ともなり得る。彼らを敵に回す事は、多少の得はあってもその数倍の損がある事なのだ。
 それが武僧の永き歴史の理由である。
 無論の事、昌には国家が僧達を敵に回さない理由などは知らない。ある意味では非常に視野の狭い彼にとっては『栄える大きなもの』は興味の対象外なのだ。
 だが今、彼はその長い歴史に感謝した。
 絶えず研鑚の時を過ごしてきた先達の磨き上げられた徒手空拳の武術が、神を救う事に役立つのだ。
 それこそが武僧の武術がある理由であろう。
 それこそが自分の体躯を授けられた理由であろう。『姓』をも会得できた理由だろう。
 本望の意味を見出し彼は、山神の守護を断たれた“山犬”を土に還す。
 それこそが本来の信仰なのだ。 

 気にかかるのはタントル=スカイ。
 あのちびっこい戦士はどうした、とリョウルクに訊ねると決して軽くはない獣人を鷲掴みにした彼も「いつのまにか消えていた」と答えた。表情は読めないが……考えているようだ。
「……テ、テル……テロ、テ……口の減らない欲張り君……二刀流の人間に会った」
 それには思い当たる節がある。アスリースのテラ=ドラ。在村漸の方が気に入り、自分から二振りの刀を持たせた若い穿流の使い手だ。最後に会ったのが二月ほど前の事である。それからは風の噂で――サラフィティスが発生源だった気がしないでもない――アカデミー……いや、アスリースそのものだったか――のどこぞの部署の用心棒だかなんだかに就任させられた、と聞いていたが……。
 アスリースのアカデミーにまで情報が渡っている。魔術師の件は政府庁が伏せていたはずなのに。人の口には戸は建てられない、まさにその通りだ。
「で、そいつはどうしたんさ?」
 爆進する昌を追いながら、それでもなお集まってくる“山犬”を斬り捌き、問う。
 巨体のリズマンは極端に前屈みになって片手の槍を振るいつつ答える。
「わからない。こいつらに襲われて別れた。そこに戦士とエルフもいたはずだ」
「あの二人がかい……参ったねこりゃ」
 タントルとサラフィティス。
 どうにも不安な組み合わせである。テラ=ドラにしても個人技の感が強い。まとめ得る人員がいないのだ。あえてあげるのならタントルであるのだが……自分でもまとめ切れる自信のない二人である。期待はしない方がいい。
 そもそもその三人が共にいるとは限らないのだ。
 厄介な。
 そう思う。やはりあそこで別れたのは失敗だったのであろうか。後でこれほど手がかりが現れると知っていれば、慎重に行けたものを。   
 そんな事を思っていても仕方が無い。解かっている、解かっているがそこまで割り切る事もできない。命がかかっているかもしれない問題だからだ。
 迷いは裁たなければならない。そう、強く思う。強く思う事で二度とこのような失態を犯さないためにも。
 瀞は急いている自分を危険な兆候とは判りつつ、止める事ができないでいた。
 目標持つ者の焦り、であった。


 アカデミー。あの……口の減らない欲張り君……も彼の学び舎から来たと言う。恐らくは今『掴んでいる』この獣人も共に来ていたのであろう。学人達の集う場。考え、知れる場。
 以前にも名は聴いた事があった。しかしそれだけである。別段感じる事は無かったのだ、深く考える事をしなかった頃は。
 知りたい。
 急にそんな事を思うようになった。旅に出たせいであろうか。様々な、とは言い難いが、比較的物の多い港町での生活では観られない事、感じられない事が知れた。それだけでも旅に出た成果はあろうというものだ。さらに知りたい、と思うのは知識欲という今までに触れた事も無いような欲望を開花させられたためであろう。

 事が終わったらおしゃべりな獣人に着いて行っても良いか、と思った。

 自分が、だ。男衆の中で最も物を知らず常に誰かから教えられていた自分が。さりとて興味も示さなかった自分に世辞を教え込もうとした≪学者殿≫傳(でん)や、大仰に客観と主観を語っていた≪演説家≫丑(ちゅう)が、さじを投げた劣等生の自分が。
 変わるものだ。
 今なら傳や丑、≪喋り過ぎ≫ニ(さく)の長話さえも真面目に聴いても良いか、と感じる。
 異常か。
 変化がある種の異常というのならその通りだろう。
 それは決して忌むべき物ではない。
 考える者の道。
 それは侍衆の道よりも魅力的に見える。今の自分には、だ。
 もう少し考えてみようと思う。
 焦る事はない、と。

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