ファンタジア

ルンド26

 限りない静寂な空間。
 まるで世界がそこしか存在しないような静けさの自室でルンドはベットに腰を下ろしながら足の上に乗せたクォートを見つめた。
 左手は剣の鞘を、右手は柄をしっかりと握りながら少しだけそれぞれの手の方へ動かす。
 刀身はやはり青白く、水を帯びていた。
「クォート、私はもう一度貴方と話がしたい……どうすればまた貴方の見えない口からの音が聞こえる?」
 潤剣は答えない。
 いや、答えているであろうがルンドにはもうクォートが発する空気のふるえを耳で感じることは出来なかった。

 コンコン

 不意に扉をノックするような音が聞こえ、ルンドが二つ返事で対応する前に高齢の男が入ってきた。
「相変わらず忙しい日々を送っているようじゃな、……どうだ、少しはラジアハンドに慣れてきたかね?」
「ステンダー卿! 何故このような所に」
 予想外の来客にルンドは赤銅色の目をいっぱいに見開いた。
「久しぶりに城内を気晴らしに歩いていたら急に君の顔が見たくなってね、今ここにいるという訳じゃよ」
 そういうとステンダー卿は顎の髭を右手の親指と人差し指でなでるような仕草をした後に無意識に細くした目で部屋を見やった。
 ルンドは表情にこそ出さないものの、ステンダー卿に面と向かって老いた者特有の眼力と、威圧感により気まずさを覚えた。
「まだ……」
 ステンダー卿が一通りルンドの部屋を見渡すとおもむろに口を開いた。
 何故かその顔には何かを悲しむような表情が浮かんでいる。
「まだおまえはこんな部屋にいるのかね? あれからかなりの月日を私は生きてきたと思ったが、ここではまだ昨日のように鮮明にあの名残があるようじゃな」
 ステンダー卿の言葉にルンドは奥歯をぐっと噛みしめながらクォートに目を落とす。
 それからゆっくりと刀身を隠し、ベットの脇に置いた。
 ステンダー卿が歩いて近くにあった安定の取れた椅子を引き寄せ、ルンドの真ん前に置くとそこに深々と座る。
「両腕を見せなさい」
 柔らかな口調だがルンドには絶対的な命令に聞こえた。
 言われるがままに両腕を差し出す。
「……やはり部屋の厚み同様、手首の痣も未だ消えず……のようじゃな。
 もっとも、あの厳重に施錠をされたこの部屋の扉を見れば分かったことなのじゃが……」
 差し出されたルンドの両手首にはなにか大きい力で強くしめられ、鬱血したような跡が見られた。
 その痣はかなり前のものの様だが、最近その上からまた新たに大きな力を加えたということがありありと目に見えた。
 その痣の形は太い腕輪のような形をしている。
 暗うつな表情でルンドは自分の手首をステンダー卿と共に見やった。
「この痣は、私の手首から消え去る事を知りません」
 ふとルンドは顔を上げ、ステンダー卿を思い詰めたような表情で見た。
 しかしステンダー卿と目が合うと頭に浮かんだ不安を急いで振り払うように頭(かぶり)を振って目を逸らすために少しだけ下を向いた。
 頭に浮かんだ不安はなかなか去らず、ルンドに悩みを打ち明けさせた。
「……ステンダー卿、私はラジアハンドに留まるべきなのでしょうか?
 最近思うのです、こんな精神面が不安定な者が最高位騎士という位を授けられていていいものなのか、と……」
 あまりにも弱々しい声。
 女のようなか細い声でルンドは言った。
(普段は見せなかったが、ルンドはこれほど思い詰めておったのか)
 驚きを悟られまいと勤めながらステンダー卿はルンドの琴線に激しく触れないように慎重に言葉を選んで話し始めた。
「では、おまえは最高位騎士に自分は相応しくないと思っておるのじゃな?
 それではおまえは位を捨てたら何をするというのだね?」
 次の言葉はルンドに言わせようと思い、口を閉じ彼の反応を待つ。
 意志が固いのならば自から道を指し示すだろう。
 恐らくルンドなら既に……
「旅に出ようと思うのです。
 あれに精神面から打ち勝つ術を見つけるために、……レイチェル様を私からお守りするために」
 ルンドなら既に道を決めているだろうとステンダー卿は思っていた。
 その予想は正鵠を射ており、固い決意を新たに感じさせた。
「そうか、していつ旅に出るつもりなのだ?
 まさかおまえとも在ろう者が今出ていくとは言うまい?」
 言ってみてルンドがステンダー卿、と少し怒ったような、笑ったような苦笑を浮かべると、ステンダー卿はちときつすぎる冗談じゃったかの、と思った。
「それは私が許しませんよ。
 いくら何でも……ステンダー卿は相変わらず冗談がお好きだ」
「……おまえは真面目すぎるのだよ、ルンド。たまには冗談の一つでも言えるようにならんとわしのように若々しく年老いる事は出来んぞ。
 ……さてともう行くとするか、アーリンが私のことをそろそろ探し始めているであろうからな。
 ルンド、折角の休憩の時間を潰させてしまって悪かったの」
 ルンドがとんでもない、と返事を慌てて返すとステンダー卿は皺の寄った口元に更に皺を寄せて笑みを作り、椅子を引いてドアの方へ向かうとそのまま振り返らずに部屋を出た。
 それから暫くステンダー卿が出ていった扉を見つめているルンドだったが、横に置いたクォートを優しく手に取り、剣帯にさすと、また凛とした態度でステンダー卿と同じく部屋を後にした。

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