楽が起きたのはやはり昼だった。
窓から差し込む強い光によって目を覚ます。
少し前まで部屋に誰かいたような気配が残っていたが、今は誰もいない。
きっと、マリアが楽の眠り様を見てあきらめ、出ていったのだろう。
ドアを開け、誰もいない廊下に出る。
昨日も思ったが、この宿は涼しく、ひんやりしている。
廊下に窓がないために薄暗いが、楽はたいして気にもとめなかった。
楽は不必要に長い廊下をゆっくりと歩いた。
慎重に、慎重に足音を立てずに歩こうとした。
しかし、やはり足音は消えない。
マリアは何か特別な修行でも積んだのだろうか……。
こじんまりした食堂に着くと、マリアが待っていた。
「おはようございます……楽…さま……」
どことなく暗い感じでそう言うと、すぐに奥へと行ってしまった。
漆黒の長い髪を無造作に束ね、真っ黒な服を着た女主人・マリア。
スカートの裾は足をすっぽり隠すくらいに長く、その足は絶対に足音を立てない。
肌の色は白く、痩せ形で、背は楽と同じくらいだ。
黒い瞳は吸い込まれそうになるくらいに深く、不思議な光をたたえている。
……不思議な女性だ。
しばらくすると、なんとも食欲をかき立てられるような良い香りが漂ってきた。
そして、食事を持ったマリアが奥から現れる。
朝食と言うには豪勢な品数の料理が運ばれてきた。
一人では食べ切れそうにない。
マリアはそれを楽のテーブルに並べ、また奥に下がろうとしたが、楽が引き留めた。
「あっ、マリアさん、待って下さい。
よろしければ、一緒に食事をしませんか?
拙者はこれが朝食ですが、時間的にはもう昼です。
マリアさんは昼食ということで、どうでしょう。
こんなに沢山の料理は、拙者一人では食べ切れません」
楽がそう言うと、マリアはしばらく無言で何も言わなかったが、何かを思いついたようにパッと顔を上げてこくりと頷いた。
目覚め越しのキュアは気持ちがいいほどに喉を潤し、果物のサラダはひんやりと新鮮で、とても美味しかった。
毎日ここでこんな食事がとれると思うと、楽は嬉しくなった。
旅の途中はどうしても木の実や簡易食に頼らざるを得ない。
こうしてきちんとした食事がとれるのは町にいるときくらいだ。
そのチャンスにジュラルミンの店のような所に入ってしまったら不幸と言うしかないだろう。
あの青いキュアはできればもう飲みたくなかった。
マリアのキュアの何と美味しいことか。
ちょっとしたほろ苦さと甘さが混ざり合って、なんとも言えず舌をくすぐる。
マリアは小さなパンを手に取り、少しずつちぎって食べていた。
始終無言でなんとも変な雰囲気になったが、その顔はどこか幸せそうだった。
短い食事の時間が終わると、マリアは何かを思いだしたようにパッと立ち上がり、ドアから外へ出ていった。
そして数分後、大きな包みを持って楽の元にやって来た。
「これを……これをどうぞ……」
楽がそれを受け取って中を見ると、黒いマントが綺麗に折り畳まれていた。
「このマントを拙者に?」
そう訊くと、マリアはこくりと頷いた。
「闇市では……毎回必ず死者が出ます。
競売相手に負けて怒り狂う者、手に入れた呪いのアイテムを早速使ってしまう者……理由は様々ですが、なにしろ危険なことが多いのです。
このマントは……きっとあなたを守ってくれます。
特別なマントなのです。
闇市が始まる時間になったら、必ず身につけて下さい」
マリアは有無を言わせず楽にそのマントを手渡した。
楽は礼を言う意外にない。
「あ、ありがとうございます」
マリアはそれを聞いて満足したようだった。
足早にテーブルに近づくと、食事の後かたづけを始める。
楽は部屋に戻って今もらったマントを羽織ってみた。
大きさは測ったように楽にピッタリで、全く重さを感じさせない。
薄い布でできているが、作りがしっかりしていてなかなか丈夫そうだ。
マリアはこれを「特別なマント」と言っていたが、どういうことだろう。
闇市の時間に身につけるマントとは、さらに不思議だ。
しかし、あのマリアが口調を濁すことなく一気に喋り込んで楽に渡したマントだ。
きっと何か特別なことがあるに違いない。
楽はそう思い決めて、もらった黒のマントを丁寧に折り畳んだ。