あの後……酒場で夢だか現実だか分からない会話をした後、楽はワジュールの町をうろうろした。
当初の目的だった「ブルムンクスの店」を探していたのだ。
しかし、ワジュールの町並みは思った以上にややこしく、おまけに町自体が広かったため、その店は見つからなかった。
思えば、ブルムンクスの店がこのワジュールにあるとも限らないのだ。
全てがあやふやなまま楽はワジュールに着いてしまった。
何だか、今こうして宿屋を探しているのも実は夢の中のような感じさえする。
日がどっぷりと暮れ、心なしか人通りが激しくなってきた道を、楽はとぼとぼ歩く。
前方に小さな一軒の宿屋が見えた。
看板を見る。
「宿屋・メルッチョ」
トントン
軽くドアをノックすると、中からひょろひょろとした女性が出てきた。
そして、ボソッと小さな声で言う。
「……お泊まりで?」
楽はうなずく。
「そうですか……では、中へどうぞ…」
招き入れられるままに中に入った。
空気が埃っぽい……そして、暗い。
その小さな宿は他に人が居ないようだった。
物音一つしない。
主人と思われる女性について楽が歩くと床が軋む。
しかし、その女主人は足音一つ立てずに前へ前へと進むのだ。
「こちら……です……」
長いこと続いていた暗闇の廊下で、突然主人がささやいた。
ドアを開けると、こじんまりした小さな部屋。
楽一人が泊まる分には十分である。
「お泊まりは……何日間……ですか?」
楽が部屋を眺めていると、いつの間にか背後に立っていた主人が呟きのように言った。
「あっ、えっと……それじゃ10日間でお願いします」
よく考えもせず、闇市終了の10日後までここに居ようと思った。
何故かは分からない。
「10日間……ですね……ありがとうございます……」
そう言って女主人はまた暗い廊下の闇へと消えていった。
女主人が去った後、楽は部屋に入ってベットに体を投げ出した。
久しぶりの柔らかい寝床……。
……いつしか楽は眠っていた。
気付かないうちに、深い深い暗闇の夢の中へと落ちてゆく……。
闇に落ちていく途中で、小さな光が見えた。
掴もうとしても、楽の手を滑り抜けるように逃げていく光だ。
ぐんぐん、ぐんぐんその光は強さを増してゆく。
……楽はどうしてもその光が欲しくなった。
しかし、光との距離を縮めようとすればするほど、光は遠くに逃げてゆく。
仕方なく、楽は見守るだけにした。
だんだん、だんだん強くなる光を、じと見つめる。
と、声が聞こえてきた。
…て…………さい……
微かに暗闇に響く声。
どこかで聞いたことがある声だが、一体誰の声だろうか……。
ふと、暗闇が晴れてきた。
光が強くなったわけではない。
暗闇自体がうっすらとしてきたのだ。
そして、
しばらくすると、辺りは一面真っ白になった。
黒から白への転換……見ていてなんとも不思議な気分だ。
それでも尚強くなる光を見つめながら、しばらくはじっと動かない。
……動けないのだ。
何かに両手両足をつなぎ止められているような、そんな感じ……。
突然、その光が飛び散った。
5つに分かれた光は遠くへ遠くへと飛んでゆく……
目が、醒めた。
ここは宿の一室。
眠りに就く前よりも心なしか明るい。
……朝、だった。
ただ一つある小さな窓から太陽の光が射し込んでいる。
そして、人の気配。
「誰だ!」
楽は剣を引き寄せて一気に起きあがる。
ドアの前に、女主人がいた。
楽の大声にもたじろく様子無く、こちらを見ている。
「あっ……」
楽は大声を出したことを後悔した。
しかし、女主人も女主人だ。
何も喋らず、ドアの前に、しかも部屋の中にいるのだから。
「朝食の……支度ができました……」
そう、生気の抜けた声で言うと、パタンとドアを閉めて出ていった。
何かが……何かがおかしい。
この宿は変だ。
そう、楽が思うのも無理からぬ事だった。
朝食はいたって普通、いや、厳密に言えば、それはかなり美味しいものだった。
果物のジャムがたっぷりとぬられたパン、
新鮮な野菜のサラダ、
そして、昨日飲んだキュアが偽物だと確信できる位に美味しい、
茶色い色をした本物のキュア。
香ばしい香りが、辺りを漂う。
久しぶりのまともな食事に喜びを覚える楽だった。
今日は月が変わって碧月の1日。
今夜から闇市が始まる。