ステンダー領の領王ステンダー家の縁戚であり、その家臣団の筆頭ともなるクラン家は現在では主にステンダー領主の補佐として、王国内でも重要な位置を占めるが、その歴史は短く、三百年に満たない。
神力国家ラジアハンド王国内では珍しい、ソーサレスの家系で、それも、例えばアーリン・クランなどのように、ソーサレスとしての能力がほぼ最上級の部類に入るような人物がよく現れる。
それもそのはずで、クラン家初代当主クランディオは本来、遠くアスリース王国内の魔術の名家と言われる貴族の出であった。その後継者闘争に敗れて亡命した彼はステンダー領で召し抱えられた。やがて領王の信任を強く受け、その娘を妻に迎え、その分家としてクランを名乗ったのが最初である。
初代当主クランディオ・クラン。その本来の出自たる魔術の名門の家名は、ランディという。
ステンダー領王家付きビショップ格ソーサレス代行を務めるアーリン・クランは同時に、そのクラン家の当代当主でもある。しかし、舞会に向けて人の出入りの慌ただしい中でも、ステンダー家の家臣としてではなく、クラン家の当主として人に会うのは彼女には珍しいことであった。
客人は男老若の二人連れ。ランディ家よりの使者である、と名乗った。
若い方は知らないが、老いた男の方を、アーリンは知っていた。およそ三百年前に追い出した親族の子孫の家へランディ家が使者を派遣するのは、十年前に続き二度目のことであったからだ。
「お久しぶりでございます。その節は大変申し訳なく思っておりましたが、仕方のないこととご理解いただき感謝しておりますわ」
アーリンのにこやかな表情と反して、室内の空気が緊張する。その科白が痛烈な皮肉であることは、言った方も言われた方も百も承知していた。
十年前のランディ家の用件は、他ならぬアーリンを養子として迎えたい、というものであった。当時十三歳のアーリンはクラン家の一人娘であり、またすでに未来のビショップ格ソーサレスとしての修行の最中だった。それだけでもその申し出は非礼の極みであるというのに、その理由のがさらに自己本位の者であった。曰く、ランディ家の跡を継ぐべき血統で残った者が数年前に行方不明になった娘一人になった、この事態捜索を急いでいるが万が一のことあらば後は遠縁であっても目を瞑って招かざるを得ないので、という。
ランディ家の方は事情を理解しきっていなかったのかも知れず、あるいはステンダー領で上昇しているクラン家の地位よりもランディ家の地位の方が魅力的であると考えていたのかも知れない。
いずれにせよ、それをクラン家が容れるはずもなく、最後には領主までが出て行って、しつこいランディ家の使者を追い返した、という経緯があった。
「おかげを持ちまして……」
こちらは笑うなどという動作とは全く無縁そうな老人が、平静を装って応える。
「お嬢様は無事、当家にお戻りになられました。しかし現在、再びそのご長子アルフェリア様が行方不明となられております。クラン家には古きご縁を尊びあって、その捜索にご協力いただきたい」
「ご存じですかしら。私事でございましたので貴家にご挨拶には伺いませんでしたけれど、わたくし、四年前に半年だけ、アスリースのアカデミーへ留学をしておりましたの」
僅かに、老人の表情が動いた。
「お世継ぎのお噂はいろいろと伺いましたわ。もちろん、学生同士の無責任なものばかりでございますけれど、事実無根の噂を蔓延させるようなことになれば、名門ランディ家らしからぬ不手際とお見舞い申し上げなければなりませんわね」
アーリンは相変わらず笑顔を崩すことなく続ける。
「申し訳ございませんけれど、当家もわたくしも、舞会で大役を仰せつかっておりまして、その準備に追われて立て込んでおります。ご希望に添えるとは思えませんので、ご寛容をもってご理解いただきたく思います」
「それでは、舞会が終了すれば、ご協力いただけますな」
穏やかな会話に不似合いに、空気だけがぴりぴりと、音を立てないのが不思議なほどだ。
「……当クラン家はステンダー領王家にお仕えし、その命を受ける立場にございます。ランディ家の方々におかれましては、その点をお間違えなきようお願い申し上げます」
要約、二度とそんなことを言ってくるな。
二人の使者が引き下がるまで、アーリンは悠然とした微笑みを絶やさなかった。
「そういえば、王宮から警護の人間を寄越すとか言ってたな」
馬車の御者台で、エーリックが思い出したように言った。
ステンダー領の世継ぎの若君がなぜ御者台などに居るかといえば、当の本人が自家からの供を「うっとうしい」の一言で断ってしまったからだ。
ストーク村を発っておよそ一昼夜後のことであるから、かなり今更、というような感がある。
「警護って、誰の?」
リオだけでなくアルフェリアも大人しいので、相づちはどうしてもフォルクスの役になる。
「お前らのに決まってるだろうが」
それから、今回の警護担当者はずいぶんと真面目な奴らしいな、とエーリックは肩を竦めた。来客の対応を他の領主に託した場合、警護の任はその家の者に任せて依頼書ひとつで済ませる場合も少なくない、という。
整備された街道とはいえ、山道で馬車は揺れは激しい。だが、さすがに山の民であるステンダー領のもので、走ることそのものは平然たるものだ。
しばらくして、エーリックは前を見たままおもむろに、フォルクスでも白ウサギでもなく、フェアリーマスター、と呼びかけた。
「弓矢を叩き落とす魔法ってあるか?」
「ソーサレスやクレリックじゃないんだから、そんな体系付けたような目的別の魔法なんてないぞ……たぶん。少なくとも俺のは習ったんじゃなくて天然ものだから」
応えながら相手の意図に気が付いて、エーリックの真後ろに立つ。
「まぁ、頭の使いよう。出来る」
言いながら、相手の場所を探る。エーリックは素知らぬ顔で馬車を繰る。
ヒュン
かん高い音を立てて飛んできた矢が、唐突な突風に逸らされて馬車の車輪に踏みつけられた。
同時に、エーリックは馬車の速度を上げる。すると山道の横の木陰に、押し殺した馬蹄の音が鳴るようになった。
フォルクスは後ろの二人にこっそりと視線を走らせる。
かつて祖国の敵国に狙われていたリオは相変わらずぼうっとしたように居る。
お家争いの渦中にあるらしきアルフェリアは空気を察したのか剣に手を伸ばしているが、やはり相変わらずの無表情。
「あんた、狙われる心当たりは?」
フォルクスは視線を正面に戻してから言った。察したようにエーリックは唇に笑みを浮かべる。
「もう九年もあちこちで色々やってるからな。逆恨みなら掃いて捨てても腐るほどだろうさ。お前は?」
「このみてくれだけでも、始末しておこうって奴がいても不思議ないと思うけど」
立て続けの矢は全て風にはたき落とされるが、馬車と馬とでは振り切れそうにない。それで、馬車を走らせたまま、フォルクスとエーリックは場所を入れ替わった。風はどうやら途切れさせずにすんだ。
合図をしたら止めろ、と言いながら、エーリックが剣を手にかけたのと、ほぼ同時、前方から馬蹄の音が聞こえた。
一瞬、ひやりとしたフォルクスの不安は、エーリックの「やった」という小さなつぶやきで消える。
状況をつかみ、意図してのことか、ことさら見せつけるように掲げられた旗章は、ラジアハンド王国正規騎士団。
やってきたのは四騎。その先頭、槍を構えているのは美しい黒髪を靡かせた若い女騎士。馬を繰って木陰へ切り込むような仕草をする。
エーリックは彼女を賞賛するように小さく口笛を吹いてから、馬車を止めろ、と合図する。フォルクスは手綱を引いた。
「何者か知らんが、さすがに正規騎士団と事構えるほどの根性はないらしいな」
山道の木陰の馬蹄が背後に遠のくのを聞きながら、エーリックが呟く。
やってきた四騎が目の前で止まる。旗を畳んで馬を下りた。
ご無事ですか、とその先頭の女騎士が槍を納めながら言う。年の頃、二十二か三。きりっとした表情で、略式の敬礼をする。
「当方の不手際をお詫び申し上げます。ルンド最高位騎士軍団麾下ロートと申します。今回、みなさまの警護の任を仰せつかりました」
四人の中では一番若く見える唯一の女性である彼女が中心であるらしい。残り三人の騎士、ヴァック、ヘッグ、セトの名も彼女が紹介する。
「お役目ご苦労、ロート殿」
エーリックが降りて対応した。彼らは当然、警護する相手の名くらいは知っていたが、とりあえず一通りの紹介をする。
ヴァックという騎士が微かに眉を潜めているのを見て、エーリックが「何か」と問う。ヴァックはやや躊躇ってから、口を開いた。
「エーリック…さまとはやはりあの……」
「ヴァック!」
叱りつけるように声を上げたのはロート。エーリックは面白そうに笑みを浮かべた。
「いや、いい、ロート殿。
ヴァック殿の言うあの、というのがどの話か知らんがたぶん、その、エーリックだ」
それから、何かやったのか、と言いたげなフォルクスの方を見る。
「九年前までは騎士団にいて、いろいろと有名だったから。
知ってる奴はいい目じゃ見んだろうさ。一番目立つのは騎士団追い出された時の、騎士号剥奪と懲戒除隊処分の話だろうからな。しかも罪状が捕虜虐待」
「……嘘。あんたが?」
「さあ、どうだか」
他人事のように言う。
「失礼しました。申し訳ありません」
言って恐縮するロートに、エーリックは、いいよ、しばらくよろしく、と応えた。