ファンタジア

フォルクス30

 何かが引っかかる。そう言って、フォルクスは逃げてきた道を引き返した。土砂降りの中でただ待っているのもなんだから、という理由で、リオとエーリックはそれにつき合ってやることにした。
「それにしても……小屋かぁ」
 “海の向こう”のお姫様だもんなぁ、と、歩きながら、フォルクスはため息と共に呟く。“海の向こう”というあたりは冗談と受け取ったらしいエーリックは肩を竦めた。
「安心しろ。俺にはちゃんと、小ぶりで質素だがれっきとした別荘屋敷に見えた」
「……小ぶり? 質素?」
 そういえばこいつの方もいっぱしの貴族なんだっけ、と改めて思い出す。明らかに、物の見方の価値観が違う。
「どうせ俺は実家がちょっと金持ってるだけのド平民だよ……」
「あ、いじけた」
 到着した頃には雨が上がった。
 戻っていった屋敷、いや、屋敷の跡地はまさに惨状というのに相応しい光景だった。建物は完全に瓦礫の山と化し、その合間やら下やらに、どうやら不死身の怪物だったらしき身体やらそれが着けていた仮面やらが転がっている。
 エーリックは手足が食いちぎられた状態で転がっているのの横にかがみ込んでまじまじと見る。
「すっげぇ……ひょっとして、下手にリオちゃん怒らせるようなことすると俺もこうなるのかしらん」
「そいつはされるようなことをする奴が悪い」
 フォルクスの素っ気ない返答にエーリックは不満げを装って見上げる。
「貴方はまだ、怖くならない?」
 リオに言われて、フォルクスは肩を竦めた。以前のように、恐る恐るというふうではないのは良い傾向かもしれない。
「何で? あいつらはリオを助けるためにやったんだろ。俺はエーリックと違って、そんなことされなきゃならんようなことはしないから関係ないだろう」
「俺だってやらんぞ。ちょっと言ってみただけだろうが」
 抗議するエーリックに、どうだか、とふざけて返答する。
 それからフォルクスはぐるりとあたりを歩いた。ここが屋敷であった頃には裏手か奥の部屋だったらしきあたりに、ぽっかりと開いた真四角の穴を見つける。のぞくと、下へ降りる階段があった。
 深くは考えなかった。ただ好奇心に誘われて、フォルクスはその階段を下りていった。

 リオには三度目の、高い音。淡く、石が光る。
「……おい、まさかっ」
 エーリックが慌てて立ち上がり、彼の言うところの勝利の女神である剣に手をかける。
 リオは、彼女には珍しく、あっ、と声を上げた。
 目前、まず目に入ったのは、あの化け物たちが着けていた仮面。そして、それを着けているのは、見覚えのある毛並みの狼。
 咄嗟に、リオはその狼との意志の疎通を計った。
 通じない。反応は狼のそれではなく、さきほどの不死身の化け物のそれだ。
 エーリックは舌打ちした。
「飛びかかってきたら、斬る。狼にもリオちゃんにも悪いが……」
 面白い物が見つかった、とフォルクスがのんきな声を上げて戻ってきたのは、そんな時だった。直後、二人の雰囲気がおかしいことに気がついて、何だ、と問う。
「見てわからんか。仮面を付けた恩人の狼に襲われる寸前だ」
 フォルクスははじめ訝ったが、彼の対峙する動物を見て事態を把握する。
「仮面を壊して」
「……なに?」
「本体は関係ない。あの仮面を壊してくれ。魔法では無理だ。物理的に砕かなけりゃならないから、あんたの仕事だ」
 今度はエーリックが眉をひそめるが、説明を求めている暇はなさそうだった。
「仮面だけを、壊せばいいんだな」
 フォルクスが頷くのを確認して、エーリックは剣を鞘ごとはずして構えた。向かってくる狼の仮面へ、勢い良くその先をぶつける。
 堅い。そう簡単に壊れるものでは無いと判ると、エーリックは一転して鞘を引き払った。
 仮面を付けた狼は全く動物らしくなく、警戒する色すらなく再び襲って来る。エーリックはそれを間近まで引き寄せて、仮面と狼の頭の隙間をついて、一気に剣を凪いだ。仮面がはねとばされる。
「リオちゃん、狼をよろしく」
 早口で言って、エーリックは仮面を踏みつける。改めて、それに剣をまっすぐ突き立てること三度。
 ようやく、仮面を音を立てて砕けた。
 狼は先ほどまでの狂態が嘘のように、忠実な番犬のようにリオの前に控えていた。

「さっき、地下室を見つけた」
 その見つけた地下室から持ってきたという、綴じられた紙の束をばさばさと振りながら、フォルクスは言った。瓦礫に埋まっていなかった範囲で、目に付いた未だに無事だった仮面を一通り壊して回った後でのことである。
「あんたがたの言うところの小屋だか小ぶりの質素な屋敷は……」
「まだ根に持ってるのか」
「……この屋敷はたぶんカモフラージュで、その地下が本命。たぶん、誰かアルケミストの研究室らしい」
 そこへ案内しながら、フォルクスは説明をした。
「要するに、この仮面の方があるアルケミストの技術による一種の魔法創造生物で本体だった……らしい」
「ホムンクルスとかゴーレムがどういう理屈で動くようになるか、知ってる?」
「知るわけがないだろう」
 自慢じゃないが、魔法だの魔術だのはさっぱりだ、とエーリックは答える。
「いろいろやり方はあるけど、基本はいわゆる魔力諸々の合成と加工と凝縮を繰り返して擬似的な“魂”を造って本体に入れる。人工的な物だからそれほど長持ちはしないことが多いし、複雑なことができる物は滅多にないんだけど……」
 フォルクスが持ってきた紙の束は、その地下研究室の保有者のメモ書きをまとめたらしきものであった。
 それを流し見て漠然と掴んだところによれば、この屋敷と地下室の所有者はその発想を逆転させた。逆に“魂”をそれと魔力のあいのこである魔法生命に転化させようとしたのである。具体的には、生命を司る“魂”そのものを分化、あるいは薄化させることによって、より精度の高い「魔法生命」の創造を計った。
「で、この辺は推測でつなぎ合わせて、なんだけど、たぶん、このアルケミストは最終的には恒久的な生命の保存なんかまで視野に入れていたんじゃないかと思う。いってみれば“永遠の命”ってやつかな…?」
「……その結果が、これか?」
 言いながら、エーリックは仮面のかけらを拾い上げる。
「たぶん、理論付け段階の実験試作品だろうな。元が魔力じゃなくて“魂”なものだから、魔力への変換が中途半端で悪霊化した、ってところじゃないか?」
「神々への冒涜甚だしいとはこのことだな」
 忌々しげに吐き捨てるエーリックに、フォルクスは感心したように「さすがラジアハンドの貴族」と呟いた。
「何がだ?」
「普通、さらっと出てくる科白じゃないだろう、『神々への冒涜』なんて」
「曲がりなりにも神力国家の貴族が不信心者じゃぁ格好がつかんとでも思ったんだろう。ガキの頃からたたき込まれた」
 それから、まるで試すようにフォルクスに問う。
「お前はどう思ったんだ、この話」
「面白い」
 エーリックは困ったような、なんともいえないというような、奇妙な顔をした。
「嫌そうな顔するなよ。あの化け物どもは出来損ないっぽいけど、自我を確立させた完成品ってのがあるとしたら、きっと普通の人間と見分けがつかないくらいになるはずだし」
 あったら見てみたいな、と言うフォルクスはなにやら楽しそうに見えた。
「それに、応用範囲は意外と広いらしい。見てみる?」
 言って、フォルクスはさっき見つけた地下室へ二人を連れていく。
 縁の無い人間には何に使うかも判らないような器具だの道具だのが所狭しと並べられたその奥に、不似合いな花瓶が置いてある。綿毛のように丸い花が密集したのが溢れるように咲いていた。
 白いアカシアの花。だが、花が咲いているには季節はずれだし、なにより長く人がいなかったはずの屋敷の、地下である。
 手を伸ばして、フォルクスはその一房を花瓶から抜いた。
「造花じゃない。仕掛けはたぶんこの、茎の下にくっつけてある銀」
 抜いたのを、ほら、とリオに渡す。
 白いアカシアの花。おそらくは数十年間も咲き続けて枯れず、これからも枯れることのないだろう花だった。

 そのアルケミストのメモ書きの束を、結局、フォルクスは興味本位でそのまま持ち出した。後日、暇を見ては読んでいるうちに、何かの走り書きのついでらしいのでディモール・シャープネスという名を見つけるが、それはずいぶんたってからのことである。

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