セザール曰く『救急袋』の薬草と処方の二日酔いの薬の効果は抜群で、リオは昼には体調を取り戻した。一方の、朝までに床に十本は酒瓶を転がしたフォルクスは相変わらず二日酔いとは無縁のていで、宿の主人に呆れ果てられていたりした。
結局、何かすることがあるわけでもないので、フォルクスはリオと二人、街の市見物に出かけた。賑やかな街中に、レクサに比べて目に付く警備兵の数が多い。たぶん、海からの出入り口にあたるこの街の治安があまりに悪すぎては交易に影響しかねないから、との配慮のためだろう。
リオは特に何かほしがるわけではないし、フォルクスもあまりこれといったものが見つからない。猛獣使いの芸の一団が来た、という話は聞いたが、今日は来たばかりで実演も無いという。
市見物が本当に見物で終わりかける頃、不意にかかった声があった。
「おい、そこの白いの」
足を止める。声の方を見ればそこに細い路地があって、おそらく声の主だと思われる痩身痩躯の男が脇の壁にもたれてかかって立っていた。
「“白いの”って、俺のこと?」
「他にいるか」
三十半ば頃、ややくたびれた風な胴着と腰の奇妙に反り返った一振りの剣から、彼が警備兵などではなく、かつ戦いを職とする人間だと見当が付いた。
「ラジアハンド国ビショップ誘拐犯フォルクス……おまえさんのことだろう?」
ゆらりと壁から離れて一枚の紙片を指し示す。見る者が見れば、そんな動作でも隙がない、と判ったかも知れないが、フォルクスにはそういうことは判らない。ただ、その姿に違和感があった。
「……違わないけど、その手配書は無効だぞ」
やや憮然として答ながら、すぐに違和感の招待に気が付く。左の手には彼に指し示した手配書。右の手は、肩のあたりから服だけがだらりとぶら下がっている。
隻腕の男はひっそりと笑った。
「無効は知っているさ。ただおまえさんが、いま巷で言うところのラミスサイヤの剣について何か知っているだろうと踏んでいてな」
場所を変えよう、と男はフォルクスを促した。
変なおっさん。その男に対する、それがフォルクスの第一印象である。
ただ、いきなり手配書を示されたことと「ラミスサイヤの剣」、つまりおそらくはかつてフォルクスが持っていたあの「在村の宝刀」の名を出されると、冷や汗をかきながらもついて行くしかないように思えた。
「剣とそれを持った何者かが空へ消えた」
町外れ。妙にひっそりとした食堂に、穴場だと言われて案内される。店の奥の卓について、何種類かの食べ物を注文して二人に振る舞いながら、隻腕の男はそう言った。
「噂話を辿っていくと、中核はそこにたどり着く。ちょうど同じ頃だ、おまえさんのこの手配書と、もう一つの手配書が出回った」
もう一つ示されたのは失踪したラジアハンドのビショップ・レイチェル捜索の手配書。
「……そうだな。無効になったのまで持ってるなんて賞金稼ぎでもやらないよ。おっさん、手配書集めでもしてるのか?」
「まぁ、しらばっくれたい気持ちは判るがな。
もう一つ、似たような時期に白子に剣を盗まれたわめき立てる商人に会った。盗まれたと喚くわりには警備隊に届けるのを渋って、結局諦めた、妙な商人だ」
やたらに持って回った言い回しをする。居心地が悪くて、フォルクスは身じろぎした。
「……少し頭を使えば判りそうなものだ。剣は白子が持っていた。白子は…誘拐はしないまでもラジアハンドのビショップと共にいた。ビショップには空へ飛ぶような高速移動魔法があったな――天使光臨よりは、よほど現実的な話が成り立つかと思うんだがね」
「少なくとも世の中は現実的な話、ってのは嫌いみたいだけど?」
軽くため息を吐いて、フォルクスは問う。
「言いたいことはだいたい判ったけど、おっさんは何者だ? 話はまず、そこからだろう」
男は軽く笑ってうなずいた。
「そうだな。俺の名はテラ=ドラ、そのラミスサイヤの剣とやらは、たぶん以前に俺が持っていたものではないか、と思って探している」
軽く、フォルクスは目を見張った。
「…テラ=ドラ?」
リオが、小さな声で呟いた。そういえば彼女はアスリースの大貴族の婚約者でもあったから、その名を知っていて不思議はない。
「双刀の剣豪、今は姿を消したアスリース王国正規騎士団総団長……?」
「何年か前のレクサ海域の海賊強襲を半日で片づけた英雄で、王様側近のお偉方の魔法使い連に喧嘩売れる唯一の騎士さまだったっていう、あの?」
認識の仕方に随分と差があるのは、生まれ育ちの差というものであるからこのさい仕方がない。知ってたか、と驚いた風でもなく言う隻腕の男を、フォルクスは訝しげな目で見る。
「俺は王都の育ちなんで……でも、レクサの海戦の凱旋行列の時は見に行ったはずだけど…」
「しょぼくれてみえるかね」
返答に困って顔をしかめるフォルクスに、テラ=ドラは低く、自虐気味に笑って、右の肩に手をおいた。
「当然だ。もう三年ばかり前だな。ちょっとしたドジでこいつを無くしてから、すっかり飲んだくれていたからな。そうでなけりゃぁ、剣を盗まれるなんて間抜けはせんさ」
「……やっぱり盗品だったんだ」
「ついこの間だな、通りすがりの大トカゲに一括されて、まぁ、やり直してみるか、と思ったわけだ。
今さら、返せなんぞとは言わん。ただ、ありゃぁ今でも俺が持ってるこいつの双子の兄弟みたいなもんだからな。やり直しの出だしで、その里子の先くらいは確認しておきたい。それだけだ」
フォルクスは隻腕の男を見上げた。なるほど、ややたゆたったふうながらも、言われてみれば名を馳せた剣豪という面影が無くもない。
「……悪いけど、今、俺は持ってない」
「いつ見て、どこで見失った?」
それで、フォルクスは彼と「在村の宝刀」との出会いからアルサロサの宿に忘れてきた下りまでを掻い摘んで話した。「ビショップ様」という言い方と彼女の行動の説明のぞんざいさとの不釣り合いにテラ=ドラが微かに奇妙な顔をしていたが、それは気にかけないことにする。
「その宿に今、まだあるのか、そのごたごたの後に残った連中の誰かが持っていったのか、俺は知らない。連中の誰かが気が付いて持っていったなら、今頃はラジアハンドの、たぶん、王宮だと思う」
「みごとに正反対、か」
思案深げなため息と共に、かつての双刀の剣豪、今は隻腕の男は天井を仰だ。
「おまえさんのかつてのお連れが気が付いていることを宛にしてみるかな」
ラジアハンドへ、砂漠を突っ切っていけば鈍った勘を取り戻すのにも役に立つだろう、とテラ=ドラは笑って言った。
「じゃぁ、むこうでまたおっさんに会うかも……って、レクサ海戦の英雄テラ=ドラ様におっさんはないか」
「いい、いい。年でいえばおっさんで充分だ」
どうせ、二つの腕で稼いだ名前の分を片腕で取り戻すには時間がかかる、と彼は言った。それでも彼はそれだけのものを取り戻す、と決意しているらしかった。
「むこうでってことは、おまえさんもラジアハンドへ行くのか?」
「海路で。俺にも責任が無いとはいえないし、もし誰かに会ったら聞いておくよ、おっさんの剣のこと」
おまえさんは見つけやすいから、気が付いたら声をかけるよ、と話していたとき、不意に誰か、女の悲鳴が響いた。
盗賊か、強盗かと振り向く。そこには黄色い毛に黒い斑点のある、大きな獣が歯をむき出していた。