ファンタジア

フォルクス10

 僅か、だがひどく長く感じる、空白の時間があった。刺したアスト王子すら、一瞬、呆然としていた。
 最初に動いたのはフォルクス。駆けよって、アストの手を剣から無理矢理引きはがす。
「レイチェル、頼む! ヴァン、お姫さんを!!」
「あ……りょ、了解」
 声に急き立てられるようにして、ヴァンはリオを抱き上げた。慌てて駆け寄るレイチェルの顔は蒼白だ。
「あ…あああ……」
 遅まき、アストが唸り声のようなものを上げる。フォルクスは軽く舌打ちした。アストを注視したまま、低い声で後ろの二人に告げる。
「リオを連れて、俺から離れろ。巻き添え食らうぞ」
 その顔をちらりと見て、ヴァンはぞっとした。
 フォルクスの、比喩でなく真っ白な顔に浮かぶ、作っていない、完全な地の表情は、それだけで見る物をそうさせる。生物全てにはそれに相応しい色とか形があるのだと、そうでない物をみて始めて知るのに似た、強烈な違和感と恐怖。
「すぐそこに丸い空地があった。そこで落ちついて、彼女の手当てを」
 ヴァンがレイチェルを急かした半分は、友人のそんな顔をエルフの少女に見せたく無かったからだ。
「お前が……お前が…リオを……」
 アストの体が震えている。その表情は明かに異常だ。怒り、笑い、泣き……混在している。
 レイチェルたちが近くから離れたのを気配で察すると、フォルクスは素早くアストから離れた。
 深呼吸を一つ。
「“森羅の王、万象の主よ、我フォルクス・バームの名に応えよ”」
 精霊召喚の呪文に似ている。だが、呼びかける先は違う。
 アストが立ちあがった。目に狂気の光を宿して、フォルクス目掛けて剣を振り上げる。
「“精霊の友の声に応え、目覚めよ、平穏なる精神精霊。
 汝が主アスト…”」
 冷や汗は二方向から来た。
 ひとつ、刃が迫って来る。
 もう一つ、アスト王子の家の名前は何だった…?
(確かアスリース王家の傍系の……)
「おのれぇぇ!」
 完全に狂った掛け声。手を伸ばせば触れられる距離。
 刃が、下り始める。
(思い出した!)
「“アスト・アスレイトスの心に平穏を”!」
 飛び退きながらも、魔法の手応えはあった。崩れ落ちるように、アスト王子は眠りに落ちた。
 息を大きくついて、フォルクスは表情を変えた。いつもの、一応普通の人間に見える表情に。頬に一筋、赤い血の川が流れたのに、そのあとで気がついた。

 

 より念を入れた手順で長い時間をかけたマーヴァリース神の高位の回復魔法の効きは、あまりよくはなかった。それでもリオは、なんとか一命を取りとめた。
「しかたがありません。場所が場所ですから」
 そう言ったレイチェルに、ヴァンは首を傾げた。
 森の中にぽっかりと、ほぼ真円形に開いた空地だ。確かに草もろくに生えていないというのは奇妙だが、それだけといえばそれだけだ。
「まぁ変な場所だけど……そんなに、かな、ここ」
「お前……本っ当にソーサレス課程修了したのか、ヴァン」
 背後の草むらを掻き分けて、フォルクスが呆れた声で言った。
「少しでも魔法と名のつくものをかじってれば気がつくぞ、普通。この空地を中心にして、完全に魔力の働きがおかしいだろうが」
 その悪態と完全に呆れた表情。
 頬に浅くは無さそうな傷と、血をいいかげんに拭った跡があったけれど、ヴァンは少し、ほっとした。
「言われて見れば……まぁ……」
「お前な…」
「だって俺、完全に理論型だもん。実践はてんで……フォルクスは良く知ってるみたいだけど、何、これ」
 レイチェルが、小さくかぶりを振る。
「それは多分、誰にも判りません。“環(サークル)”という現象の名前をついていますが、ごく稀にしか起こらないもので研究が進んでいないのです」
「…の、はずなんだがな。俺はついこの間、別の所で同じ物を見たんだ」
 びっくりしたように、レイチェルが振り向いた。
「そこには本来は妖精族の村があった。水属性の連中だから当然、真ん中に小さな泉もあったはずなんだが……更地になってた。丁度、こんな具合にな」
「もしかして……百年か二百年に一個もでてきたらいいとこ、っていう、あれか?」
 必死で記憶を手繰り寄せるヴァンにフォルクスは頷く。
「アカデミーの記録は全部調べた。それでも妖精が捲きこまれたなんて例は無かった。俺の人探しってのは、その妖精たちのことだ。手掛かりなんか、まったくないけどな」
「そう…ですね。“環(サークル)”について判っているのはその、魔力すらゆがめる混沌の属性であるということだけですし」
 レイチェルまでもが腕を組み、真剣に考え始める。
 ヴァンはしばらく待って、いきなり、フォルクスの髪を掴んだ。
「おい! 何を…」
「お前、まだこんなもん、後生大事に持ってたのか!」
 無駄に明るい声で、フォルクスの髪を束ねる銀の髪止めをまじまじと見る。髪止めの中央には赤い安物の宝石が入っている。
「…使いやすいから使ってんだよ、悪いか! 放せっ!」
「またまた……結構ロマンチストだよな、お前。いまだに昔の恋人のプレゼ…」
「やかましい! そんなんじゃないって、当時から言ってるだろうがっ」
 むりやりヴァンの手を跳ね除ける。
「だいたいどういうつもりだ、こんな時に…」
 ヴァンは肩を竦めた。
「それはこっちのセリフ。わめいたら少しは気分が晴れただろ?
 正体不明の“環(サークル)”や妖精の話もいいけど、リオ姫とアスト王子はどうするつもりだい?」
 不意に、フォルクスは黙り込んだ。
「お前らしくないよな、まず。おおごとの後処理もせずにいきなりそんな無駄話始めるなんてのは。
 王子さんはどうなった?」
「…あっちで寝てる。ただ……」
「ただ…?」
「本人の地も多少あるのかもしれんが、あそこまで奇怪しかったのが…この“環(サークル)”の影響と……」
「まぁ……王子さまがあからさまに変だったのは認めるよ。いくらなんでも、ね」
 ちらりとリオのほうを見る。レイチェルの何度目かの魔法と介抱のおかげで、まだ気付かないまでも、だいぶ顔色が良くなっていた。
「それからたぶん、それの媒介になる変な魔法関係の影響を受けてる可能性があって、な」
「つまり、まだ全然終ってない、ってことか」
 フォルクスは、ため息混じりに頷いた。

©ファンタジア