ドアを開けるとそこは白く霞む世界だった……と言えば聞こえは良いが別にそこが銀世界だという訳でもなく、ただ換気のしない地下室に、煙が充満しているだけだった。
煙……と言っても何かが燃やされているわけでもなく――いや、燃やされているのだろうが“燃やすので煙がでる”、のではなく“煙を出すために燃やし”ているのだ。
言ってしまえばこの部屋を充満しているの煙はドラッグ……すなわち麻薬である。
煙の中に入り込むとそこは見かけだけはタダの酒場だった。ただ皆が酒ではなくドラッグに酔いしれて言うという点を除けばだが。
(坊やなんかが来たら失神するな、この空気は)
そんなことを考え苦笑しながら足を進めカウンターの向こうの人影に声を掛ける。
その男はハッキリ言って醜かった。がりがりに痩せた体つきに四六時中ドラッグの煙に包まれているのか肌は爛れ、歯は抜け落ち、遮光眼鏡に隠れた瞳は色を失っている。名前は知らない。ただ仲間内ではモグラと称されていたのを覚えている。
「けけけ……誰かと思えば仮面のダンナ……こんな汚いところに何のようですかい?」
醜い顔から発せられるその声は、まるで老
人のように掠れている。しかしこの男の年齢は判らない。その容姿と声で老人とも言えるが、そうとも言い切れない節がいくつもあった。
どっちにしろ正体不明な男である。ハッキリ言えばこの男をクロスドは好んでいなかった。しかし、この男これでどうして、裏世界では名の通った男なのである。交渉術と情報力は大した物で、裏世界では組織同志の仲介役として腕を振るっている。
「……今度の闇市で捌きたい物がある。見てくれるな」
そう言って麻の袋を取り出しカウンターに乗せる。モグラは震える手つきで袋を開けると中の物を物色し始める。銀の燭台、宝石類、さらには食器などがカウンターの上を占領していく。
「へぇ……なかなかのもんじゃないですか……。ほぉ? これはラジアハンドのある貴族の家紋ですね……。こりゃ売れないわけだ。さしずめ……火事場泥棒って所ですかい? だんな」
いひひひ、と歯の抜け落ちた口を動かさず笑い声をあげる。
「で……いくらだ?」
「全部で……60万と言ったところでしょうか……。まぁ、今度の闇市で出すとこ出せば70は行くんじゃ無いですかね?」
「……中間マージンは3割だ。出来るだけ高値
で捌いてくれ」
「けけけけけ……了解しましたよ……ダンナ……」
そう言って左手に持っていたキセルに口を付け息を付く。
「そう言えばダンナ……いまあっしが吸ってるこれ……なんだか分かりやすかい?」
「あいにく好んで廃人にはなりたくないんでな」
「けけけ……ダンナ……何時も通り手痛いですね……。これはですね……ピコの実ですよ……」
「ピコの実? あのお茶の原料か?」
その一言に「ダンナも知らないことが在るんですね」と嬉しそうに笑うモグラ。
「ピコの実にはですね……一種の興奮作用を持つ成分が含まれて居るんですよ……。それを特殊な製法で化成すればあら不思議……ドラックの出来上がりって訳ですわ。
ダンナも知っての通りピコの実はキュアの原料として知られていますがね……こういう風に使えると知っているのは一部のピコ農家か組織だけ……。ピコの実自体は栽培を禁止されてるわけではないのでね……一種の合法ドラックという訳ですわ……」
「で、なんだ? お前の蘊蓄聞くためにオレは居るんじゃない」
「へへ……そう焦らずに……。この前とあるピコ農家が殺されました……。表じゃ物取りとか言われ
てるかもしれませんが……ありゃ絶対何処かの組織の仕業ですぜ?」
「……オレには関係無い話だ……」
「それがそう言うわけにも行かないんですよ……。その事件の唯一の生き残り……被害者の娘ですがね? そいつを捜し回ってる奴が居るんですよ……。何でもそいつは昨日大通りで人間離れした力で大暴れをしたとか……。そして……それを止めたのが仮面をした男だって言うじゃないですか……」
「……何が言いたい?」
「……いえいえ……お連れの坊やに言って欲しいのですよ……。これ以上首を突っ込むなってね。あっしはダンナが好きなんですぜ? 早めに手を引くことをおすすめしますよ……」
「……お前なんかに好かれても迷惑なだけだ……。なんだオレに恩を売って何をやらせたい?」
「けけけ……さすがダンナ……話が早くて良い……。いやちょっとした小用ですよ……。今度この街にメルディス……って奴が来るんですけどね……。いや、別におかしな奴……ってな訳じゃないんです……。むしろ逆……巧く稼ぎすぎた……。だから組織のお偉いさんは煙たがってる……」
「……そいつを殺せと? ……いくらだ?」
「500……いや……700は出
しますよ……。ダンナほどの腕だ……それで雇えれば安いモンでしょ……」
「……ザンネンだがオレは依頼の掛け持ちはしない主義だ。違う仕事が入ってるからそいつは受けれないな」
「……そうそう……風の噂じゃ何処かの組織はそいつを殺すため……ファントムを雇った……って話ですぜ?」
ファントム……その名前を聞いたとき一瞬だがクロスドの表情が変わる。快楽と憎悪、殺意と愛情、その何れでもなく、そしてその全てが含まれた表情へ。
「……ダンナがファントムにご熱心だという話は……ホントだったんですね……」
けけけ、と喉を鳴らして笑う。それにクロスドは唇をニヤリと歪め、「あぁ、惚れちまったのさ」
そう答えた。
そしてその答えは依頼を受けるのと同意語だった……。