それはまるで海の上に浮かぶ巨大な篝火のようだった。
船を丸まると飲み込んだその炎は、未だとどまることなく燃え続けている。
甲板、客室、操舵室、船腹、船尾、マストまで覆い尽くし炎は燃え上がる。
幾つもの遺体と、“霧”を飲み込みながら……。
クロスドはその光景を上空よりエンペランサに掴まりながら見下ろしていた。
その手には淡く輝く青い石が握られている。
「ねぇ……これで全部終わったの?……」
「さぁな……」
時は半刻前にさかのぼる……。
「この“霧”についてだが対処法は在る」
甲板に集まった生存者に対しクロスドはそう言った。恐怖と悲しみの色が支配していた皆の瞳に希望という名の光が宿る。
「いくら魔法生物と言っても成分はほぼ通常の霧と同じだ。つまりコイツの弱点は炎。水分を奪ってしまえば殺せる――とまでは行かなくとも致命的なダメージを与えることは出来る」
そこまで言って一息つくクロスド。全くそう言ったそぶりは見せないがどうやら腹部の傷は深く、彼にかなりのダメージを残しているようだ。
「しかし、普通の炎ではダメだ。強力な――そう、この船を一気に燃やすほどの勢いが無いとな。そのためにも動ける奴は燃料になりそうなモノ……油でも、火薬でもなんでも良い、この船にある全ての燃料をココに集めてくれ」
軽傷な者はクロスドの言葉を聞くと我先にと言わんばかりに船の中を漁りに走り出す。皆この船のことを熟知している。おそらく数十分もしないウチに戻ってくるだろう。
その予想は外れることなく、きっちり十五分後には船内の全ての燃料……灯油、火薬だけではなく料理用の油、松明、木炭、薪、はてには酒なども甲板に集められた。
クロスドは集まった燃料を在る程度甲板にぶちまける。さらにシーツやタオルなど燃えそうな物を甲板に敷き詰める。
準備を全て終えた後、クロスドは皆に救命船へ乗り込むようにと伝える。そして殆どの者が脱出するために救命船へと足を進める。――そう、殆どの者である。一人だけ救命船へと向かわず、甲板に残ろうとした者が居た。……クロスドである。
「おい、あんた。何してんだよ、早くあんたも船に乗らないと……」
「全員脱出してどうするんだよ。誰か一人は着火のために残ってないといけないだろ?」
「――あんた、心中する気か?」
「まさか? オレには自虐願望も無ければ自殺願望もない」
そこまで言ってブレスの肩に止まっているエンペランサの首根っこを掴み取り上げる。
「のあ! あんた何するの! 離しなさいよ! 離さないと燃やすわよ!」
などと言いながらじたばたするエンペランサを右手に持つクロスド。
「借りてくぞ。オレが脱出するときの足が必要だしな」
「借りるって、オイ! 物じゃないだから!」
そんなブレスの声を背に皆とは逆方向へ歩き出すクロスド。しかし、途中で歩みを止め顔だけを振り返り、ニヤリと笑みを浮かべる。
「坊や、強くなりたいのなら一つだけ教えてやる。覚えときな、強い奴ってのはな勝てない勝負はしないんだよ」
あまりにも自信に満ちあふれた言葉。だがしかし、その表情を見たブレスは身体の奥でこの仮面の男に恐怖を感じていた。ブレスの足が竦んでいる間に、クロスドの姿は霧に飲まれて見えなくなる。しばらくするとエンペランサの叫び声も聞こえなくなった。
「――クロスドは行ったか……」
「えっ? あぁ、リエルか……」
背中より掛けられた声、そこにはいつの間にかリエルが立っていた。
「止めなくて良かったのか? あんた連れだろ?」
「あの馬鹿がそんなことで止めるとは思わないからな。それにアイツが何とかすると言ったことは今まで本当に何となっている」
「信頼してるか?」
「どうかな? もしかしたら呆れて居るだけかもしれん」
やれやれとため息をつくリエル。
「さぁ、戻るぞ。こちらにはまだ自分で動けない怪我人も居るんだ」
「――あ……あぁ」
そう言ってブレスト共にクロスドが消えた方とは逆へと歩き出すリエル。少し歩いたとき、立ち止まり振り返る。そして呟く。
「……クロスド……死ぬなよ」
「よぅ。待たせたな」
『遅いよ〜、忘れられたかと思っちゃたよ』
「すまないな、少し準備と足の調達に時間が掛かってな」
そう言ったクロスドの手にはじたばたともがくエンペランサ。その姿を見て亡霊は思わず吹き出してしまう。
「なんだ、あたしは足呼ばわりか! 誰がお前なんか乗せるか! と言うか早く離せ!」
そこまで聞くと「すまんな」と全くすまなくなさそうに言いつつエンペランサを離すクロスド。それに対し「心がこもっていない!」と声を上げるエンペランサ。そして腹を抱え笑う亡霊。三者三様、だが全てこの状況に合った行動ではない。
「さて、本題にはいるか……」
などと言って急に真剣な表情――と言っても仮面に隠れていない口元だけでの判断だが――を見せるクロスド。ローブの中を漁り手のひらに乗る程度の大きさの石を取り出す。青色の石だがそのほかにはこれと言って変わったところは見れない。
「今からあんたをこの石に封印する。その際一時的だが霧と分離させるため精神を解体する。陸に着いてから封印を解き、精神を再構築する……が、その際今までの人格を維持している確率は低い」
『えっと……どう言うことなのかな?』
「つまりは“霧”から逃げ出すことは出来るがその後の保証は出来ない……ってことだ。それでも良いのならオレは確実にあんたをコイツから解き放してやろう」
『……消えちゃう方がココにいるよりは何倍もまし……かな?』
「……了解。で、次はトカゲ君の役目だ。おそらく彼女を切り離したら“霧”は怒るだろうよ。胃袋から食べた物を全部抜かれるわけだ怒らない方がおかしいわな。そうなった場合に点火と脱出を任せたい。重量任務だぞ〜」
「誰があんたなんかの言うこと聞くか! ……って言いたいところだけどあんたを見捨てったらあたしの信用が落ちちゃうからね、今回だけよ! 有り難く思いなさい!」
「サンクス、トカゲ君」
「でもね! あたしはやばそうになったらあんた置いて逃げるからね! 判ってるでしょ! チャンスは――」
「一度で十分!」
叫び、呪を唱える。言葉一つ一つに周囲は反応し、霧が光にあふれる。亡霊の姿が光に還る。呪を唱え終わると光の全てがクロスドの持つ石へと吸い込まれていく。
「点火!」
クロスドの声が終わるよりも早く、飛竜へと姿を変えたエンペランサが炎を吐く。
それと同時に“霧”が蠢きだす。目には捉えられない“霧”の口がこちらに迫り来る。船が軋み、そして砕け始める。“霧”が押しつぶそうとしているのだ。しかし、それよりも早くエンペランサの炎は甲板を多う油に着火する。一度付いた炎は一気に甲板を走る。
「――エンペランサ!」
クロスドが叫び、飛び上がろうとするエンペランサの片足を掴む。急に重みを感じたエンペランサは一度がくんと、高度を下げるが踏ん張りそして飛躍する。
エンペランサが飛び立った瞬間、船は爆発的に炎上する。否、爆発だった。一カ所に集めた火薬に火がついたのだろう。爆風にあおられながらも尚高く、尚遠く飛ぶエンペランサ。
下を見下ろすと船を丸まると飲み込んだその炎は、未だとどまることなく燃え続けている。
甲板、客室、操舵室、船腹、船尾、マストまで覆い尽くし炎は燃え上がる。
幾つもの遺体と、“霧”を飲み込みながら……。
まるで海上に浮かぶ篝火のように。
クロスドはその光景を上空よりエンペランサに掴まりながら見下ろしていた。
その手には亡霊を飛び込めた所為か淡く輝いている青い石が握られている。
「ねぇ……これで全部終わったの?……」
「さぁな……さっきも言った通り、完全に殺せる訳じゃない。ちょっとでも生き残りが居たらアレは復活するよ。それが明日か明後日か……果ては数十年後になるかはわからんがな」
「そう言えば名前……ちゃんと言えるじゃない」
「うん? 何かなトカゲ君」
「あっ! こら! またトカゲ呼ばわり! 落とすぞこら!」
闇夜に浮かぶ篝火の上に、エンペランサの叫び声とクロスドの笑い声は遮る物無く響いていった……。