甘かった。
テーヴァの夜は岩の保温効果をもってしてもまだ寒い。大陸の南、テーヴァからラジアハンドへの航路である寒流がこの季節、既に寒気を運んでいるからある。昼は蒸し暑く、夜は涼しい。だが、朝は厳しいほどに寒い。
寒い。それ自体が大きな問題ではなかった。
問題は、リズマンが寒いと動けない事である。
リョウルクは樹上でじっとしていた。キセルに苦労して葉を詰めふかす。体温上昇の効果を持つ一般的な野草の葉である。どこにでも生えている物でもありさほど効果も無いがやらないよりはまし、という事だ。それに、それ以外する事がなかった。
山の頂上、樹上、秋から冬にかけてのこの季節。
寒気は自明の理。
考えてなかった。
それだけである。
昼間日が差す。
ようやく身体も暖まりリョウルクは、頼りの無い動作で樹から降りた。地面の感触が懐かしい。自身を珍しくも叱咤し、長巻を三の足にしつつ重い一歩を踏み出す。
一歩だけ。否。半歩。
両足を肩幅に開き、詰まるところ身構える。
甘かった。
樹上では気づかなかった。無論の事、体温低下のための身体の鈍行化による感覚の衰えはあった。しかし、その責ばかりではあるまい。完全に油断していた。昨日、何の危険も無かったという事で。それだけで。
囲まれている。
人間、それならばまだしも救いは在ったかもしれない。
山犬である。生物で動物で獣。人を食らう野獣なのだ。容赦無し、問答無用である。
リョウルクは長巻を慎重に抜いた。隙を見せはしない。身の丈ほどもあるその得物を左に持ち、右には抜いた鞘を逆手にする。無いよりましだろう、と。
山犬の数がつかめない。視野の内にいる分は三頭、明らかな気配は二頭。それだけと断するのは余りに楽天的というものだ。少なくとも八、と前提する。山犬は徒党を組むものだ。
キセルの煙と共に呼気を吐き出す。ひゅうと鳴った呼気は山犬達の尖った耳を震えさせる。
――参ったねぇ
今初めてそう思う。
音を鳴らせたのは故意であり誘いだったのだ。誘いに乗って来るような相手ならば幾らでも出し抜く自信があった。
予想以上に狩り慣れている。つまり、強い。
――仕様の無い
リョウルクは一歩踏み出した。
山犬は反応する。動きはしない。
二歩。
前肢に力を込める。
三歩。
力を蓄え、威嚇の唸りを上げる。
四歩。
力の放出!
山犬は、視野内の三頭の獣は灰色の線と化して迫り来る。背後からも足音――否、駆け音、発達した野生の四肢が硬い地を抉る音だ。
「――――!」
息を止め右の足を折れよとばかりに地面に叩きつける。
跳躍。前方の左側、大柄のものを狙い跳ぶ。
空で長巻を振り上げ、
斬!
薙ぐ。
長巻と牙では間合いが違いすぎる。幾ら強靭な四肢を持つ山犬ではあっても機会さえ誤らなければ痛手を受ける事はない。
一頭目を半ば過ぎまで両断し息もつかず次へと跳ぶ。
獣と戦う時は止まらぬ事。自らも獣となりて得物を追う。
急激な方向転換を強いられた中央の山犬を飛び越え、その先の三頭の右端へと襲いかかる。そいつの反応は違った。闇雲に迎撃しようとはせず突進の勢いのまま駆け抜ける。長巻の間合いの外。だが、おぅと唸りを上げて投擲された鞘に腰部を砕かれ倒れる。
二頭目。
右往左往する中央のものをあっさりと斬り捨て三頭。
残りは――
リョウルクは無心で戦い続けた。
考える暇など、無い。