それに気づけたのは僥倖(ぎょうこう)としか言い様がない。
テラ=ドラはタントル=スカイを、失せた侍志望の男を多覚で探した。辺りを見回し気配を探り微かな物音を追い求める。
普段ならばこういう事はやらない。
常に隙無し。それを実現す得るのは絶え間ない警戒などではなく、気配を偽り相手の油断を誘う事。その上での反射的な能動防御、あるいは攻性防御である。攻においては先の先、防においては後の先。それが穿流の教え。そしてテラ=ドラの身上でもあった。
故に先に気づけたのは、本来ならばリョウルクの方であったのだろう。狩人という「狩る」日常に身を置いていた者は容易に気配の――森の気配の乱れを察知する。
「!」
「――!」
二人の戦者は同時にその方向を見やった。
テラ=ドラは即座にオーガから『皇』を引き抜き、右の『帝』を横殴りに振るった。
リョウルクは硬い血の残る奇形槍を豪快な動きで一廻旋、斜めに構えを固定した。『帝』が忽然と現れた獣――山犬“らしき”ものを切り裂くのと、リョウルクが凄絶なほどの瞬発力で他の、居並ぶ山犬に襲い掛かったのは同時。
囲まれていた。
テラ=ドラの双刀は始めの“山犬”の四肢を瞬時に斬り飛ばし、貪欲に次なる獲物を捜し求める。血塗られた『皇』は本来ならば急所に違いない頭部を叩き斬り、舞う『帝』は朧げな妖しき、しかしまた剛き斬撃で斜めに“おろす”。
瞬く間にテラ=ドラは二頭の“山犬”を行動不能に陥らせた。
剣豪と呼ばれる所以が遺憾なく発揮されている。
即ち、技の冴え。
鍛錬により自らのものとした技、それに裏打ちされた力の思い切る動作。無論の事、天性の才能はあろう。だが、そのようなものよりも遥かに彼の精進が功を精している。
それに加えられるのは敵を知る事。一度なりとも異質さを知るだけでもはや油断はあり得ない。訓練により身に染み付いた眼力は一般のものとはかけ離れている。否応なく。
対するリョウルクは剣豪とまでの位には届かない。
であるが狩人としての戦法や実戦で養った筋肉の動きを見る眼、なにより全ての基本となる身体の動かし方が出来ている。バッカスの道場で半端な侍や急いた道場破りなどを撃退し続け得た理由はそこにある。技としては劣ってはいても、基本の防御が優っていれば負ける事はないのだ。一対一の勝負ごとであるならば。
多数対個人であれば森の中の狩人の真骨頂である。罠や地形を把握していなくても――出来るのならすべきだが――その経験は容易く剣豪をも“狩る”事が出来る。
リョウルクはまず一頭目の“山犬”を石突きで殴打すると横っ飛びに方向転換した。具足の先で土を抉って牽制し、森の中に逃げ込む。すぐさま追いついて来た奴には重矢を投擲(とうてき)し隙を作って尾を叩きつける。その上から飛び込んで来る奴は奇形槍で二枚にし、回り込もうとする奴にはこちらが移動して木々を盾にし阻む。
防戦しながら後退する。少しでも瀞達に近づく様に、だ。合成弓を手放さなければ木々の枝上を辿り遊撃兵のような所業も可能だっただろうが、その辺りが未熟であるとリョウルクは知らずして舌打つ。
“山犬”の死骸が、何も知らぬ者ならば無惨と表現するであろう死骸が地に並ぶ。
もうテラ=ドラの姿は視認出来ない。どれほどの腕かなどはほとんど見て取れなかったが、少なくとも自分よりは強い。それが判っていたので不安と焦燥は黙殺する。
――最後の重矢が敵の眉間を破砕する。
リョウルクは奇形槍を左手に構え吼えた。
「駕ぁぁ!!」
人間とは出来の違う声帯を震わせ、蝋燭の火程度なら消し飛ばすほどの振動を持つ咆哮を放射。跳び来る“山犬”は死した本能に命令され刹那の停滞を受け――
唸りを上げて空を裁断する奇形槍が三頭をまとめて斬り潰し、重い槍の流れるままに左に身を投げる。大小の枝が無差別に折れる。そんな木々の密集に突進し、敵が死骸に足を取られる隙に右手で長衣の収納から自前の矢――四本のみ――を取り、一息で投げつける。
命中したのかも確認せず、傍の大樹に向かって跳躍、幹を蹴りつけ登る。
一時避難である。
――そのつもりだったのだが、
「これは何の冗談だ……」
リョウルクは遮光版を初めて疑った。
幾らなんでも“山犬”が樹の幹を“駆け上ってくる”とは思えなかったのだ。
一方のテラ=ドラである。
「珂ぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
跳びかかる獣を『帝』で斬り上げ『皇』で薙ぐ。無意識で数えている倒した数は二十三。
異常である。
幾つかのことが異常であった。
一つ目は山犬の頭数。以前にリョウルクが遭遇した九頭でも考え難い事であったのに、二十三頭。大型犬類の山犬は群れで生活するが、固体が大きいのである程度以上は群れを大きくしない。食糧が群れだけで養えなくなるためである。従って二十三頭などの群れは自然に置いてはあり得ない。
それは判っていた事だ。
二つ目はテラ=ドラ。双刀穿流の彼が大多数の敵相手にそれほどまでに健闘している事だった。リョウルクは「自分よりも腕は上」と考えていたが、それは戦者としての技量であった。武芸者としてのテラ=ドラは敵無しの剣豪であるが、時と場所を選ばない局地戦ではリョウルクの方が、あえて言うならば強い。人と戦う事を前提としている剣術では仕方のない弱点である。
だが、これはいかなる事であろうか。
双刀穿流を皆伝したテラ=ドラが局地での対獣戦で二十三頭の敵を下している。他の双刀穿流皆伝の者ならばこうはならないであろう。
双刀穿流を皆伝しただけの者ならば。
しかし、非凡にあっても限界は付きまとう。
「この畜生がっ!」
脚を裂かれる。絶え間ない捌きでかわしていたのだが遂に、だ。途端に襲い来る獣を『皇』で蹴散らし、『帝』で脚にしがみつくものを斬断する。無理を無視していた右腕も今の一撃で動かなくなる。
満身創痍。
使えるのは左腕と右脚。一頭や二頭、跳びかかり屠るには充分か。
凄絶な決意を両の眼に宿したまだ少年とも言える男は右脚を溜めた――
落下の短い間に状況は大きな変貌を見せた。
しかし、やる事は変わらない。難易度が上向くだけである。
だったらやるべきだ。
当然の事である。
国都万民を守る武府庁霊術衆の義務は念頭、常に口走らせるべし。
口走る。
自らの速度による轟風の中。
――汝ら須らくが民の力なり
――刀は侍衆、楯は足軽衆、我ら霊術衆は万の力なり。ゆえにその力を問い続け、そして使うべし。義務なりし事項なり。
「だったら今の霊術衆は何なのです――」
その問いは風のため口には出せず、しかし真に伝えたい感情。
だから自分はここにいる。
絣は術衣から符を数枚抜いた。
在村凛の符であった。