ファンタジア

フォルクス33

 翌日、昼頃までにはアルフェリアは体調だけは取り戻したようだった。フォルクスは、アルサロサで別れてからこれまでの大雑把な経緯を彼から聞き出した。もっとも、闘技場の内容や刺客云々の話は出てこなかったし、彼が空から落ちてきた理由などもすっぽりと抜け落ちていた。
 それは別に良いとしても、アルフェリアの、ほとんど問いにただ答えるだけというような淡々とした調子と全く動かない表情の方に違和感を覚える。
「あんなに大人しい奴だったっけ?」
 こっそりとリオに訊ねてみる。
「もっと元気な人だと思ったけれど……」
 そうだよな、と答ながら、ふと気がつく。
「そうか。あれ、最初に会った頃のリオに似てるんだ……もっと重傷っぽいけど」
 外側からの全てを拒絶しているような、あるいは全てを警戒しているような、そんな雰囲気。そう言うと、リオは何かまじまじとフォルクスの顔を見上げた。
 それからフォルクスはそう思って、頼まれもしないのになにくれとなくアルフェリアへ世話を焼き始めた。とにかく機会を見つけては構う、という方が正しいかも知れない。
 なんとなく、放っておけない。
 そういう動機で動くのはレイチェルと、リオと、これで三度目くらいか。ふとそう気がついて、自分で不思議に思う。
 そもそもフォルクスには、自分から人に近寄るなどということをした記憶からして、ほとんどない。まっとうな街の生活では、時には呪いやら不吉やらとされる白子である彼がそんなことをするのは、嫌がらせにしかならないと判っていたからだ。
 彼の存在が容認されたのは、商家であるバーム家や両親が周囲のある程度の信頼を得ていたから。そして、その周りでとりたてて大きな不幸が無かったからに他ならない。誰も直接には言ってこなかったが、そんな話は嫌でも聞こえるものだ。
 それが当然のことなのだと思っていた。好意からであっても、自分から人に近づくようなことは、まず相手の為にならない。だから、それはしてはならないはずだった。物心ついた頃から、そうしっかりと知っていた、はずだった。
「……なのに、何やってるんだろうなぁ…俺」
 三人とも、どこか世間知らずそうな雰囲気があったからか。だから言ってみれば自分でも付け込めると考えたのだろうか。
 自分で何を考えているか判らなくなると言うのは、全く、間抜けも良いところだ。
「……そうか、旅先だからかな」
 とりあえずの結論を着けてみる。なんとなく、納得できる。
 旅先は固定しない。世話を焼いてみて、それが余計なお世話であるなら、それで雰囲気が気まずくなれば、さっさと逃げ出してしまえばいい。不幸やら不吉やらの元凶にされたところでそれに一生つき合わなくてもよいし、家族に迷惑をかけるこ
とを気にしなくて良いというわけだ。
 だが、そういう束縛から解放されたからといって、偉そうに人の面倒を見ようなどと考えてる自分が奇妙に滑稽なものに見えるのもまた、確かなことであった。

 エーリックがアルフェリアに顔を見せたのは、さらにまる一日後のことだった。
「空から落ちてきたそうだな、どうやった?」
 名乗ったあとでのっけからそんなことを言い出すので、一番焦ったのはフォルクスだった。最初のアルフェリアの反応で、どうやらそういう事には触れない方が良さそうだと感じたので、なおさらである。
「……あんた、仕事はどうした、仕事は」
 メイヤーがエーリックに、この少年の事をどこまで告げているのかもよくわからない。それに、あからさまに否定するのも妙かもしれない、と考えると、こんな言い方になった。
「終わらせたからここに居られるんだろうが――まぁ、いい。
 アルフェリア、だったか。お前さんのことはウェノをとばせて王都に居る俺の従妹に言付けておいたから、レイチェル猊下へは連絡が行くだろう。
 体調が良いなら明日には王都へ発ちたいから準備をしておいてくれ。馬車を用意する」
「あ、はい。歩きでも大丈夫です」
 アルフェリアの返答には相変わらず、抑揚が欠けている。それにエーリックはふざけ気味に肩を竦めた。
「敬語とか堅苦しいのは勘弁してくれ。
 それから馬車はお前さんよりこっちの軟弱な白ウサギの方だな。来る途中にリオちゃんより先にバテるわ、愚痴るわ、うるさくて仕方がなかった」
「悪かったな、軟弱で――ウサギは止めろって言ってるだろうが」
 見た目はじゃれ合っているのと大して変わらない。実のところは半ば、奇妙に大人しい少年に見せるための演技という感もなくはなかった。
「しかし、リオちゃんとアルフェリア君は大丈夫かな……あれ、アーリンの勢いに飲まれちまうんじゃないか?」
 エーリックが首を傾げると、フォルクスは「同感」と短く答えた。

 そのアーリンは王宮の領主別邸で、舞会やそれに迎えるべき客人たちのための準備を整えつつある。
「きついだろうとは思ってたけど、本当にぎりぎりね。礼服やドレスの寸法会わせの時間がちゃんととれるといいんだけど……」
 ステンダー家の女中たちにあれこれと指示しながら、アーリンは軽くため息をついた。
「あの白い礼服をお召しになるの、アーリンさまの恋人さまだっていう噂は本当ですか?」
 女ばかりなので、手を動かしながらもお喋りをしたりする。若い女中の一人にいわれて、アーリンはきょとんとした。
「何、それ? そんな噂があるの?」
「あら、だってアーリンさまの碧塩石のペンダントは留学なさっていたころの恋人からのものに違いない、ってみんな言っていますわよ」
「だからとても大事にされているんだ、って。今回のお客様って、その方でしょう?」
「……恋人は違うわよ、大切なお友達だけれどね」
「あら、アーリンさまのお婿様候補かと思いましたわ」
 言われて、アーリンは吹き出した。
「だいたい、する気ないわよ、結婚なんて」
「でも、エーリック様がお嫁様をいただくどころかちっともお帰りにならないから、アーリンさまにお婿様をとってお子さまをエーリック様の次代に、ってお話もありますのでしょう?」
「ほんの少しだけね。あたしの子供なんて期待するくらいなら、エーリックの隠し子でも見つけだして教育する方がよっぽど現実的よ。二人や三人、もう居そうなものじゃない」
「あらあら……でももったいないですわよ、アーリン様、おきれいですのに……今回の舞会でも何人も殿方が寄って参られますわよ、きっと」
 おとなしやかに猫を被っていても、楚々とした雰囲気の美姫たちとはやや違う雰囲気を秘めたアーリンは、身分的にも一見、手の届きやすい対象として、言い寄る男も少なくない。むろん、成功した者は誰もないわけだが。
「そうねぇ……あたしに優しくってルンド様やグレッタ様みたいに有望ですてきな方が現れたら、考えてみることにするわ」
「まぁ、いくらなんでも理想が高すぎます」
 冗談を言いあって笑いを巻き起こす。
 かしましいのを押し分けて、領主の部下の騎士がやってきた。
「失礼します、アーリン様。クラリアット方面での鉄鋼取引の関係の方がお見えです。交渉と会談の席にご同席するよう、領主さまからのご下命です」
 舞会には多くの要人が集まるし、政治取引の現場にも成りうる。当然、その前後にはやはり、政治関係の客人が増えるわけだ。
「わかりました。すぐ伺います。――じゃぁ、衣装の方、よろしくね」
 それから、エーリックから届いたウェノの手紙にあった、新たに彼らと共にくることになった少年の件もレイチェル猊下に報告しておかなければ。
 アーリンには、しなければならないことは、山ほど会った。

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