夕刻。
形ばかりのノックをして、先にやってきたのは街で出会った赤茶の髪の青年の方だった。それで、ほとんど反射的に、リオは身を固くする。
「なんだ、白ウサギはまだ帰ってないのか」
「しろ……?」
「フォルクス。従妹がそう呼ぶんだよ、赤目の白いウサギもアルビノだから一緒なんだそうだ」
エーリックと名乗った青年は、フォルクスには友人の縁者かもしれないが、リオにとっては他人、しかも得体の知れない他人だ。それでも、あるいはとりとめのない思考に沈んでいるよりは彼に警戒しているほうが、多少は楽かも知れない。
「しかし、連れが居るだろうとは聞いてたが女の子だったとは驚いたな。アーリンの話を聞いてる限り、まったく無縁そうだったからなぁ」
ちょうどエーリックが妙な感心をしているところに、フォルクスが戻ってくる。ただいま、とリオに言ってから、新たに連れになりそうな青年の姿を見止める。
「誰が何だって?」
「白ウサギは女には疎そうだ、って話」
「悪かったな。……で、誰が白ウサギだ、誰が」
「アーリンはそう呼んで良くて、俺じゃいかんのか」
「あんたの言い方だと無性に腹が立つのは確かだな」
適当に相づちを打ちながら、先においていった荷物の中からなにやら捜し物をしている。それに左手をほとんど使っていないのが見て取れた。
リオが見ると、左の手の甲が少しただれたふうになっている。
「……火傷?」
ああ、とフォルクスはうなずく。何をやったんだ、と訊ねるエーリックに、別に何も、と答えて言った。
「日に当たっただけ。滅多にないけど、ごくたまにやるんだよ、こういうの。何故だか精霊の魔法の治療は効きにくいし」
「……日に当たって火傷? 器用な奴だな」
フォルクスは軽く肩を竦めただけでごまかした。
本来、人間の身体には色素というものが存在する。色素は動物の体毛のように肌を保護する役割を負っていて、例えば日焼けなどをするのは陽光の熱や光から身体を守る防衛機能である。
白子(アルビノ)として生まれた人間が長く生きられない原因の多くは、そもそも色以外でも虚弱でありやすい奇形だということであるが、色素の欠落そのものによって、陽光や外気に極端に弱い。
フォルクスが、そのかなり極度な例ながら生きながらえ、外気や陽光の元にも平気で出歩いてられるのは、生来から得ていた、精霊の加護の賜物である。だが、その加護も必ずしも完璧というわけではない。それがたまに、何もないのに火傷、などという形で現れるのである。
別に説明してもいいのだが、面倒な上に説明してどうなるものでもないから、彼は別のことを言った。
「こういうのをやった後ってたいてい、何かろくでもないことが起こるんだよな」
ふうん、というエーリックの気のなさそうな返事を聞いてから、今後の行程の相談に入る。とはいえ、リオはまったく口を挟まなかったから、決めるのは二人の青年になる。目的地ははっきりしてるから、複雑な話もない。
出発は翌朝。エーリックが山越えの近道を案内する、とあっさりと決まる。
「じゃぁ、また明日の朝」
エーリックは言って立ち上がった。フォルクスは軽く眉を顰める。
「ここで泊まるんじゃないのか、あんたは」
「ちょっと夜遊び。ラジアハンドへ戻ったら、アーリンの手前、あまり派手なことはできないんで、今のうちに羽を伸ばしておく――なんだったら、つき合うか、フォルクス」
話の頭だけ聞いて、もういい、とそっぽを向くフォルクスに、エーリックは悪戯っぽく笑う。
「勝手に一人で行って来い!」
わめくように、フォルクスは答えた。
山越えなんか、自分の家の庭を歩くようなものだ、とエーリックは言った。
フォルクスは彼の従妹で学生時代の友人のアーリンから、彼らの生まれ育ったステンダー領というのはこの山脈のなかだと聞いていた。
だから、すこしばかり傾斜のきつい、街道からはずれた細い山道でもそれほど気にせずに、ついて歩いて行ったのだ。
ナジェクを発って数日後のことである。
「……安全だ、って言わなかったか、あんた」
「言った。そのはずなんだが……」
不信たっぷりに言うフォルクスに、エーリックは当惑気味にそう答える。
それほど深いところへ行かないうちに、いきなり囲まれた。
背丈は人間の十歳前後の子供ほど。角と牙を持って二足で立ち、手には木ぎれに毛が生えたようなものながら棍棒らしき武器を持つ。たしか、ゴブリンとか言ったか、醜悪な容姿の小鬼が十匹ほど、奇声を上げて三人を待ち受けていた。
「普通の獣なら怖くないのに、な……」
フォルクスはちらりとリオを見て言ってから、やや緊張気味に息を吐く。
「“森羅の王、万象の主よ、我フォルクス・バームの名に応えよ、我と汝らが約定に於いて、疾く来れ炎霊よ”」
炎の精霊の召還。
ぶつけてやろうというわけではない。間違えれば火事になるような方法はとらず、フォルクスは凶暴だが頭の中は獣並みやや上程度だというゴブリンどもに、敢えて見せつけるように、その目前に炎の塊を差し出した。精霊に、見た目派手に燃えてくれと伝えるのを忘れない。
案の定、ざっと半数のゴブリンはそれに驚いて一目散に逃げ出した。
が、残りは逆に驚いたので混乱した具合ながら敵意をもってこちらへ向かってくる。
「あとは任せろ」
エーリックが楽しげに言った。そういうところが、剣を手にして放浪する者の性(さが)というべき物なのかも知れない。
預かり物の在村銘の直刀というのの方の柄に手をかけて、エーリックは大きく一歩、踏み出した。ほぼいっせいに襲ってくる、その間合いを計って剣を引き抜く、その勢いでまず一匹。身を翻し、一振り一匹、数え上げるような調子で切り倒す。
「…五」
最後の一匹までに、それほどの時間はかからなかった。むろん、三人の誰にも傷一つない。
「まぁ、こんなもんだろう」
どうだ、頼りになるだろう、俺は。そんなふうに二人を振り返る。
フォルクスは少し感心したふうに軽く目を見開いた。が、口に出したのは別のことだった。
「まさかあんた、その剣が使ってみたくてわざとこういう道を選んだんじゃないだろうな」
「バカなことを言うな。確かに剣は使ってみたかったけど、わざと女の子を危険にさらすような真似をするわけがないだろう」
エーリックのつもりはどうであれ、どうやら前途が多難な様相を見せていたのは確かである。