ファンタジア

フォルクス27

 この少女のことを、フォルクスはたぶん、ほとんど知らない。リオもたぶん、同じくらいに彼のことを知らない。お互いになんとなく、そういう話は避けていた傾向があった。それはこの航海の間もほとんど変わらない。
 それでも、いくつかは判った、あるいは判ったと思ったことがあった。
 例えば、彼女は最初に出会ったときに彼が受けた印象よりも、よっぽど強いのだということ。おそらくは、そうしようと思えばよほどのことは耐えられてしまうほどに。そして、その強さと同じくらいにたぶん、繊細で傷つきやすい。
 あるいは、何かが彼女の感情を奇妙に鬱屈させて、押さえつけているということ。そして誰よりも彼女自身が、それを持て余しているらしいこと。
 だから、ごくごく稀に見せるようになった彼女のほんの微かな笑みは、最初にフォルクスが思っていたよりも遙かに貴重なものであることに気が付いた。

 

 蒼月半ば。クラリアット国の主港ナジェクで、二人は再び地面に立った。港特有の喧噪のなか、船とその乗員たちとの別れを告げる。
「元気でな。嬢ちゃんと仲良くやるんだぜ、フォルクス坊ちゃん」
「だから、その勘違いをなんとかしろって」
 例によって用心棒のゴメスが豪快に背を叩く力が強すぎて、むせかえりながら答えたりする。
 このナジェクの街ではまず、船に乗せてもらう交換条件で兄に託された手紙を届けなくてはならない。急ぐものならウェノを使って、という手もあるのだが、託されたのは手紙と言うよりは書類の束で、明らかに魔法の鳥には重すぎるのだから仕方がない。
「どうする、リオ。つき合うか? それとも先に宿とって、休んでる?」
 届け先の爺さん、うちに来たことがあるけど話が長くてうるさいぞ、とかそういう話をしながら歩く、その前方が妙に騒がしくざわめいた。
 なんだ、と思ってそちらを向く、その真正面は奥の方から人混みが分かれている。分かれた中を全力疾走の体で駆けてくるのと、それを追うのとが一つずつ。
 なんだ、と思って見ているうちに、先を駆けているのがこちらの方へやってきた。手に何か長い物を持っている、風体からしてこそ泥かなにかというところか。
「おい、そいつ!」
 あとからそれを追いかけてくる赤茶の髪の男が声を上げる。
「そこの奴、そいつの足を止めとけ」
「……は? 俺?」
 隣のリオは、軽く首を傾げる。どのみち、ぼんやりしているうちに逃げている方の男がほとんどぶつかってくるように真っ正面からやってきた。
「……っと、危ない」
 反射的にリオを背後に庇う。風の精霊をクッションのように使う方法は海賊との戦いの時に学習した。とはいえ、勢いが弱まっただけで、ほとんど相手の身体を受け止めてつまずかせるような格好になっただけだが、背後から追ってくる男にはそれで充分だった。
 逃げていた、立ち上がりかけるこそ泥の足下めがけて、彼は鞘に入れたままの剣を構えて凪ぐ。次にはその首根っこを押さえつけて、にやっと笑った。
「よしっ、捕まえた」
 その手から、彼が持っていた長い物――剣を取り上げると、赤茶の髪の男はフォルクスを見上げた。
「どうも。感謝する」
 そう言った相手の目が一瞬、面白そうに揺れた、ような気がした。
「この剣はかのテーヴァの在村銘の中でも珍しい、両刃の直刀でな、もとの持ち主は残念ながらもうくたばってるんだが、こそ泥に流すには惜しすぎる代物だ」
「あんたの?」
 最近、よくその名前に出くわすなぁ、と思いながら、何の気無しに問い返すと、相手の男は肩を竦めた。
「そうだったら嬉しいんだがね、今の持ち主は元の持ち主の友人でこの街きっての、刀剣の収集家。盗まれたのを取り返す条件で貸してもらうことになっている」
 それから、男は悪戯っぽく笑った。
 どこかで会ったことがあっただろうか、とフォルクスは考える。なんとなく、その笑い顔に見覚えがあるような、無いような。
「今の俺に課せられた仕事は、在村銘の剣を持って帰るのと……運がいい、同時に片づきそうだよ。白ウサギの捕獲だ」
「白ウサギって……」
「間違いない、お前さんのことだ」
 それで、笑顔の正体が判った。この男は知らない。ただ、笑い方がそっくりな人物を知っている。男と女だから気がつけなかったのだ。
「ひょっとしてあんた、アーリンの関係者?」
「あたり。アーリンの従兄、エーリック」
 それから、ひょい、とその背後をのぞく仕草をする。
「よろしく、美人のお嬢さん」

 年の頃は二十四、五。長身でいかにも剣を振り回すタイプ、という体つきをしている。飄々としているというか、調子が良さそう。陽気というか、軽そう。
「捕獲ってのはつまり、案内してくれる、ってことか?」
「まぁ、そんなところ」
 エーリックと名乗った男は、そんな印象だった。
「その前にこの剣をちゃんと借りるように言ってこなけりゃならないんでね。落ち合う場所でも決めておこうか」
 あからさまに胡散臭そうに見るフォルクスに、エーリックは逆に屈託無く笑う。
「ちゃんとした宿をとらなけりゃな。残念ながら、俺が昨日まで泊まってたところにはとってもそこのお嬢さんを連れてはいけないんでね」
「……って、つまり?」
「つまり、“そういう”店」
 そういう奴か、とフォルクスはこめかみを押さえる。
「一応言っとくけど……」
「いくら何でも従妹のお客に手を出すほどの悪人のつもりはないぞ」
「あんたの言動見てると信じられないんだけど」
 そう言ってやると、エーリックは面白そうに笑った。
「そう言わずに。俺もちゃんと連れて帰らないとアーリンに怒られるからさ」
 そんなやりとりの末に、とりあえず、フォルクスは“ビルセクト”という名の宿に部屋をとって、さしあたり、エーリックと分かれた。
 彼は彼で、兄に託された手紙を届けに行かなければならなかった。

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