表情を作るのに、一番楽なのは笑い顔だ。何故だかは良く判らない。
まあ、いつも笑っていてはさすがに不気味以外の何でもないが、笑う機会を作るのも、他のに比べれば簡単だ。その上、笑うというやつは、理由と顔を作っておけばあとからちゃんと感情が付いて来るのが、とても楽だ。
だから、笑う顔を作れるようになれば大丈夫。少なくとも化け物と呼ばれた時よりは人間に近い顔をしていられる。気分も軽くなる。
―――いつもの調子を、取り戻せる。
無茶をしすぎた。一晩ぐっすりと眠らせてもらってさらに半日過ぎて、未だになんとなくだるさが残るというのは、やはりちょっと問題があるな。
フォルクスは一人、店が軒先を連ねる道を歩きながら考えた。
リルクリルの町並みは、一種独特だった。例えば、石や煉瓦造りの家とテーヴァ風の木造の建物とが隣り合っている。店の看板を見上げれば、見なれた共通語の書かれた横長のに混ざってちょくちょく縦長の看板が見られる。テーヴァ独特の、上から下へ縦に書くという大昔からの象形型の文字が書いてあるはずだが、フォルクスにはやたらに多い線を架空の四角の中に適当に集めてあるようにしか見えない。
そんなものを物珍しげに見上げながら、ぼんやりと歩いている。
昨日の自作ポルターガイスト自体はその場の思い付きの割には上手くいった。迫力は想像以上で、少々自虐的な面があったのがいただけないが敵は追っ払えたし、八つ当たり気味ではあったが気分は晴れたし、一石でニ鳥を落とせれば上出来だ。
連れのふたりの反応は幸運だった。あるいは新手の魔法とでも思ってくれたのかもしれない。あれで正面から顔や表情の方まで見られていたら、それこそ化け物だと罵られて石に打たれても、悪魔だと言われて火焙りにされても文句は言えなかったように思う。
『容姿は内面を映すって言うでしょう?』
ふと、初対面でいきなりそう言ってのけた友人の言葉を思い出した。彼女はそれから白子について、妙に独特な考え方を披露してくれた。
『だとしたら、生まれた時は普通の赤ちゃん以上に、本当に純白なのよ。不吉だったり悪いものになったりするとすれば、それは周りの人間がそういう色に染めるからだわ』
なるほど、とは当時から少々思いがたかったが、昨日のような暴れ方ができる自分を発見してしまうと、なおさら賛同しかねる気分になってくる。
「……なんて言ったら、怒るだろうなぁ、あいつ」
なんとなく呟いて見たのと、背から声をかけられたのがほとんど同時だった。振りかえると騎士風の出で立ちの男が二人。
「何か?」
「フォルクス、だな?」
はあ、と答えはしたが、声をかけられるような覚えはない。騎士の一人が階級証らしき意匠を刻んだメダルを取り出した。彼らの階級はともかく、それで国くらいは判った。
「我々はラジアハンド国ビショップ猊下の近衛騎団の者だ。覚えがあるな」
言い方が刺々しい。心当たりが全く無いとは言わないが、こう強く当られるような覚えはない。フォルクスは困って宙を睨んだ。
「猊下の誘拐犯を放置しておくほど、ラジアハンドの法は甘くはない」
「……はい?」
かつて、アルフェリアがレイチェルと自分の情報を彼らに告げたことを、フォルクスは予想はしたが確認はしていない。ましてビショップ捜索を焦るラジアハンド騎士たちが勝手に拡大解釈してしまったなど、知る由もない。
もう一人の騎士が、似顔絵こそ入っていないものの彼の特徴を銘記して、ご丁寧に近衛騎団長の押印まで入った手配書を広げた。
「……何かの間違いでしょう?」
「しらばっくれる気か」
「一緒にいたことがあるのは否定しませんけど、彼女、つい昨日、アルサロサの町で猊下を迎えにきたルンドって騎士さまと合流したばかりのはずですよ。現場には居合わせましたから。あの人に会った後で俺がここに居られるんですから、やましいことはない、って解るでしょう?」
ルンドの名が出た時点で、二人の騎士の方が逆に困惑した様子で顔を見合わせた。
「でたらめではあるまいな」
「本国に問い合わせて見たらいかがです? よっぽど抜けてなきゃぁ、発見の第一報くらい入ってるでしょう。俺は今日明日くらいならたぶん、もう一本向うの通りのサグラって宿にいますから」
それから、まだ疑いの眼差しを向ける二人に止めを言ってやる。
「だいたい、あんたがたのビショップ様ってのは俺みたいなのに誘拐されるような程度の人じゃないでしょう」
二人のラジアハンド騎士はこれで一応引き下がった。念の為、と姓名やら何やらをさんざん聞かれた挙句、明日の昼まではその宿を移るな、と釘をさして、ではあったが。
宿サグラはリルクリルの中ではどちらかと言えばアスリース風に近い宿である。それでも壁にかけてあるのはインクの薄いので描いたようなテーヴァ風の絵であったりするのは、あるいは何やら勘違いした異国情緒を醸し出そうという演出であるかもしれない。
セザールに当てがあるとはいえ、いきなり見知らぬ人間を二人も連れて乗り込むのもどうか、ということで、さしあたり一行はこの宿に部屋を押えたのである。
「お待たせしました」
要り用な物を、と買出しに出ていたフォルクスが戻ってきた。
最初にほら、と言ってリオに小ぶりの袋を手渡す。何、というように見上げる少女に、フォルクスは笑って答える。
「一袋渡しとくよ。“ナテルの実”だっけ? 疲れがとれる奴。来る途中でセザールさんに貰ったろ? ついでにいくつかまとめて買って来た」
それから笑い顔が悪戯っぽくなる。
「興奮を抑える“コルトの実”ってのもどうしようかと思って、結局やめてきたんだけど……あのルンドさんとかが来るなら買っといたほうが良かったかなぁ? また何かやりあう破目になったら口ん中に放り込んでみるとか……」
本人がいないと思って言いたい放題の軽口を叩き出すのに、セザールが呆れた風な声で遮る。
「それはどこにでも売ってるよ。そんなに急いで何を買ってきた?」
「外套(マント)ですよ。人の血なんて被るもんじゃありませんね。染みになるわ、変な匂いがつくわで」
肌が弱いのでマント無しでは辛い、と言っている横で、リオが俯く。
「謝るなよ、リオ。悪いのは全部奴らなんだから。どうせ俺、連中に関係無いコトまで全部ぶつけちまったし……」
セザールの軽い咳払いと完全に呆れかえった声。
「へらへらと笑って明るそうに言うことか」
「いや、悲壮感に満ちて暗く言ったら余計暗いかなぁ、と思いまして」
それから、遅くなった原因として町中で出会ったラジアハンドの騎士の事を告げる。
「……もう撤回されると思いますけど……あ、ルンドさんの嫌がらせだったりしたら残るかなぁ。嫌われてそうだもんなぁ、俺」
子供の喧嘩じゃあるまいし、と答えながら、セザールは訝しげにフォルクスを見やる。おそらく今朝からか。妙に陽気に見える。昨日までの様子とまるで違うように見えるのは気のせいか、と。
「これから、どこへ行くつもりだったんだ?」
訊ねられて、フォルクスは少し考える素振りをしながら、とりあえず、今の所の最後の目的地はラジアハンドのステンダー領へ、と答えた。
「あ、でも、ハワードさんでしたっけ? セザールさんの知り合いの医者ってひと……ちょっと興味あるんで、紹介してもらえませんか」
セザールの諸々の心配を他所に、フォルクスは昨日の件はすっかり終ったものと考えているように見えた。
「ステンダーだって、どうせ本当は陸路でのんびり行くつもりだったんですよ。どっかの猊下に魔法で飛ばされまくって、気が付いたら海のほうが近くなっちまってますけどね」
セザールが席を外したとき、リオがステンダー領とはどこか、と訊ねた。フォルクスはさっき買ってきた地図を広げる。
ラジアハンドとクラリアットの国境に位置する山脈のほぼ真ん中、やや北よりの所を指して、この辺、と言う。
「船で行くならクラリアットの港からのほうが山越えが少なくて近い。鉄鉱石がよくとれる、ってのが取得なだけの、山奥のど田舎だってさ」
「……何をしに?」
おそるおそるという風に聞いてくる。
「……俺が消えた妖精の村のことを調べてる、って話はしたか?」
小さく頭をふったリオに、そこから語る。
「ステンダー領に、学生時代の友人がいるんだ。――アーリン・クランって言って、ほら、この間言ってた人を引きずり回してた奴だけど。
そいつの話を聞いてみたいのと、ついでに紹介状でももらってラジアハンドのアカデミーの図書館も閲覧できないかなぁ、と思ってな」
それから、ぽん、とリオの肩を軽く叩いた。
「まぁ、役に立つか立たんかも判らないところへ急いで行く必要もないからな。寄り道したいとこがあったら言ってくれよ。俺もあんまり旅ってしたことがないから、ついでがあればいろいろ見てみたい」
な、とフォルクスはリオに笑いかけた。
表情を作るのに、一番楽なのは笑い顔だ。何故だかは良く判らない。
とりあえず、妙に鬱屈した気分は去りつつあって、笑う顔を作れるようになった。気分も軽くなってきた。
―――大丈夫だ。やっと、いつもの調子を、取り戻せる。