ファンタジア

フォルクス15−2

「話がある。少し付き合ってもらおう、フォルクス・バーム」
 やや低いが怒声でもそれを押えた声でもなく、平静に、ルンドからそう声をかけたのは夕食の直後のことだ。
「……いちいち名前を全部呼ばれなくても判ります」
 あまり素直ではない返答をしながらも、フォルクスは応えて立ちあがった。
 付いて行くと、外へ出た。歩きながら、ルンドはフォルクスの身代を訊ねた。
「アスリースの商人の三男でアカデミーのアルケミスト学部卒業生……ですけど?」
「アカデミーには何年いた?」
「十三から十七だから……五年になります」
 ルンドが立ち止まったのは、もう森の入り口近くだった。そこで、彼は剣を外して置いて見せる。
「口論喧嘩沙汰は無しにしよう、フォルクス・バーム。
 いいか、あの方の身代はラジアハンド国王陛下に継ぐものだ」
「……知ってますけど」
「国の……特に我がラジアハンドや君の祖国アスリースのような王国の礎は、その国王を頂点とする身分制度で成り立っている」
 軽く、フォルクスは身じろぎをした。
「民が貴きを尊び敬い、貴きはそれを慈しみ善政を行う。民の相応の敬意あらばこそ、貴きの成す方は遵守され、国の安寧が保たれる。
 そういう世の仕組みを、知らぬわけではあるまい」
 確認の必要も無い。よほどの無頼漢か極悪人でも無い限り、常識だ。
「……俺のやっていることは、法の破壊だと?」
 そう言われても仕方がないかもしれない。
「そこまでとは言いたくない。だが、それが蔓延することの危険も判るな?」
 この、たぶん自分と五才も違わない騎士は国家の中枢に位置する人間なのだと、今更ながらに思い知らされる。
「特にアスリースのアカデミーは学術の中心だ。その身分制度の一種治外にあることは知っている。それは妥当なことだと思うし、そこに長く居た君にその習慣が身に染みていることも、わかるつもりだ」
 今まで気付かなかったのが不思議なくらいだ。ルンドとこうして落ちついて向き合っていると、威厳のようなものを感じて、奇妙に居心地が悪い。
「だが、ここはアカデミーではないし、君はもう、学生ではない。世の仕組みを全く知らぬわけでもない。あの方への応対もだが、それを置くとしても、そろそろそれを自覚して、けじめをつけて、然るべき年のはずだ。
 それは、なによりもまず、君自身のために、そうではないのか?」
 フォルクスを見据えていた透き通った茶色の目が、すっと離れた。ルンドはさっき地上に置いた剣を拾い上げた。
「少し、ゆっくりと考えて見るがいい。私の話は、それだけだ」
 踵を返す。宿の方へ戻りかけて、一度、彼は足を止め、背を向けたまま言った。
「私があの方のお傍に居られなかった間、君があの方をお守りするよう尽力してくれたことには、感謝している。礼と、それが遅れた詫びを言っておく」
「……そういうことは普通、こっちを向いて言ってくれるもんじゃないですか」
 それは、精一杯の強がりにすぎなかった。
 ルンドの姿が消えると、フォルクスは大きく息をついた。
 怒鳴られるよりも、きつく叱られるよりも、静かに言われたことのほうが堪えることがある。今のが、ちょうどそれだ。
「もうちょっと大人になれよ、ってか……」
 全く、あの男の言うことは正しい。その通りだ。自分のやっていることは要するに、ガキっぽい意地でしかない。
 そもそも、とフォルクスは考える。自分は何故こんなに意地になっているのだろう。少なくとも、ヴァンあたりが言ったような恋愛感情では絶対にないはずだ。
 レイチェルと同行するきっかけになったのは、商人の依頼で剣を届けるため、それだけだった――いや、本当にそうか? 彼はいかにも悪徳商人という人物だったし、剣は盗品でなければ手に入らないほどに高名なものだった。最初はそんなものは断るつもりではなかったか。実際に、やはりあの商人は、自分たちを警備兵に売ろうとした。
『取引しないか? 俺はあんたの事を連中に言わない、その替わり……俺が今度引き受ける仕事を手伝うんだ』
 何故あんなことを言った?
 風が、頬を撫でて行った。ふらふらと、いつのまにか森の入り口から一歩、踏み込んでいた。アスリースの森の風の精霊がまとわりつくように構ってくる。
 ああ、そうか、とフォルクスは気がついた。
 足を止めて、指を伸ばして、それにまとわりつく精霊を見上げる。
 寂しかったのだ。
 独りなのには慣れているはずだった。多少表情を取り繕ってみた所で、自信家ぶっておちゃらけてみせたところで、ごく普通にできる友人の数はやはり少ない。けれども、アスリースに居れば、いつだって森の風の精霊が居ることを感じていられた。精霊たちは、彼
には優しかった。
 ストレシアの砂漠の風にも精霊は居た。それなりに優しかったけれど、それでも慣れない風は、実は想像以上の孤独を強いていたのではないか。
 そんな時に、あの目に出会ったのだ。自分を見て、奇異も好奇心も哀れみもない、ただの親切な人としか見ない目。それでも、自分の姿を見止めていた、あの目に、だ。勝手に腹痛と勘違いした回復魔法よりも移動魔法よりも、その印象が強いのは、つまり、そういうことだ。
 森の下草に見を投げ出す。昼間降った雨の匂いが心地好かった。
 隣人や子供仲間はむろん、父や兄弟たちすら彼に何かしらの特別な目を向けた。母は彼を溺愛したが、それは白子と認めることさえせずに狂気に逃げこんだ結果だった。アカデミーという限られた目的だけの空間に居た時のほかは、フォルクスはだから、いつだっ
て、どの仲間にもきちんとは入れなかった。
 勘違いをしていたのだ、同等の目を向けてくれる彼女の仲間になれると。
「……甘えているのは、俺の方か」
 レイチェルは、ルンドの“仲間”だ。彼女の仲間の元へ帰るのだ。たったそれだけのことなのに、無性に抵抗したくなるのは、そんな勘違いに未だに頼ってしまっているからだ。
 全身、力を抜く。フォルクスは弱く笑ってみた。半分泣きそうな顔も、全く作ることをしない自分でも気持ちが悪いと思う地の表情も、絶対に人前ではしないが、ここなら大丈夫だ。
 そうだ、いっそ、地の顔をあいつに見せてやったらどうだ。それで多少でも恐がらせてやったら、それであいつも皆と一緒だ。つまらない未練などたちまち吹き飛ぶに違いない。
「……おいおい。本物の馬鹿かよ」
 自分で自分を叱咤する。それではレイチェルへの侮辱以外の何者でもないではないか。
 ルンドが言った。けじめをつければ良いだけだ。彼女は自分などより遥かに高位の人だと自覚して、まず一度、それを体言すればいい。その後のことは後だ。
 いつまでも大人気無くわめいてあの男と喧嘩を繰り返して、レイチェルを困らせることは無い。
 そうして、別れるときには笑って「また会おうな」と言えばいい。それだけだ。
 リオはどうするだろう。
 もう一人の少女のことを考えた。レイチェルへの勘違いはそのまま彼女にも当てはまるはずだった。それでも、差し当たり帰るべき場所のないはずの彼女は、もう少しくらい、自分の旅に付き合ってくれるだろうか。
「……また、甘えようとする」
 全く度し難いと、自分で思う。
「頼んでみりゃいいだろうが、頼んでみりゃぁ」
 それで、あるいはレイチェルと一緒に行きたいというなら、それでいいはずだ。彼女も“海の向う”の姫君なのだから、ルンドならば悪いようにはしないだろう。
 今日は、屋根の下で眠る気がしなかった。
 森の風は心地いい。
 大丈夫。今夜は何も起こらない。今日の森の風は、いつにもまして、とても優しいのだから。

 翌朝、フォルクスは妙に神妙な顔つきで宿へ戻ってきた。
「あ〜、フォルクスさ……ん…?」
 フォルクスは、そんな顔つきのまま、レイチェルの前に立った。
 右手を軽く握って左胸に当てる。右膝を地につけて跪き、深く、頭を下げる。
「これまでの、ご寛容に付けこんでの数々のご無礼を、謹んでお詫び申し上げます。願わくば、寛大なるご慈悲をもって、お許しいただけますよう、お願い致します」
 もっと平静に言うつもりだったのに、用意した科白は喉に詰まったものを吐き出すように、押し殺した声になってしまった。

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