夜が来た。あれからクロスドとは一度も顔を合わすことはなかったが未だにリエルの心の靄は消えては居なかった。ただどうしようもない不安が彼女を支配している、それが現状だ。
(ふっ、こんな事で悩むなんて私らしくない……)
そう、自嘲的に笑う。しかし、どこかでささやく声がある。“自分らしい”とは一体何か? と。まるで大海に沈んだ一欠片のような希望を求め彷徨うのが自分だ。
そんな生き方に疲れを感じ始めたのかもしれない。
――ならばいっそ、委ねてしまえばいい――
何にだ? 答えの見えない自問自答。ただ、一瞬だけ、そう一瞬だけあの仮面の男の顔が浮かんだ……。
(もう一度、話してみるか……)
そう思い立ち、クロスドの部屋へ向かうとする。
瞬間――窓ガラスが叩き割られ部屋の中に一つの影が進入してくる。
「そんなところからご来訪とは……、あなたもあの人に雇われたのかな?」
その影――昨夜の黒装束の男と間合いを取りながらそう問いかける。
だは、黒装束の男はそれに答えようとせずリエルとの間合いを計っている。
ぴりぴりと、二人の間に緊張が走る。
そして、先に動いたのはリエルだった。部屋に備え付けの枕を男に向かって投げ付ける。それを男が片手で払う。瞬間、リエルはその男に突撃する。虚を突いたその攻撃に男は対応出来ずふらつく。その間にリエルは部屋からの脱出を計る。そして走る、男が入ってきた割れた窓へと。
「風よ――、纏われ――」
そう呪文を呟き、窓から飛び降りる。二階に在ったその部屋から地面に落ちる瞬間、リエルの身体が“ふわり”と速度を落とす。
(これで少しは時間が稼げるか――)
まだ男が居る部屋を背にリエルは走り出す。しかし――、
ぐちゃ
まるで生き物が潰れるような音がした。振り返れば先ほどの男が窓から飛び降りていた。だが、その両足は完全にイカレていた。だが、男はそのことに全く気を止めず、潰れた両足を引きずりリエルを追いかける。その速さは今までとも変わらぬ程に……。
(何なんだ、コイツ――!!)
恐怖がリエルの中を走る。理解しがたい存在を目にして動きを留めてしまう。その刹那の瞬間、男はリエルに飛び掛かる。そんな中リエルの硬直を解いたのは一発の銃声だった。
「なんか、縁が在るな。嬢ちゃんも、そしてあんたも」
その銃声をあげた人物――クロスドはリエルとその近くで踞っている男に言った。
「あなたは――どうして――」
「ん? オレの“眼”には見えぬモノなど無いんだよ。例え、何であれな」
リエルに近づきクロスドは手を差し出す。
「まぁ、助かったんだ。難しく考える必要は――」
そこまで言った瞬間、クロスドの胸から刃が生える。確実に絶命したと思っていた男が立ち上がり彼に突き刺したのだ。
どさり、と音をたて今度はクロスドが倒れる。ひっ、と小さい悲鳴を上げリエルは座り込む。そして心のどこかで思う、朝からの予感はこれだったのだと。
黒装束の男は倒れたクロスドに見向きもせず、リエルの所へ近づこうとする。が、その途中何者かに肩をつかまれる。それにつられ後ろを振り向いた瞬間――肩をつかんだ者に殴り飛ばされる。
「待ちなよ、まだこっちは決着着いてないぞ」
そうクロスドは言った。胸から刃を生やしたまま。
「……生きて……居たのか……」
リエルが言う。それは喜びよりも不可思議さがこもった呟きだった。
「まぁな。あいにく常勝不敗がモットーなんでね、こんな所で死んでられない」
そんなことを言いつつ、引き金を引く。
パン、パンという破裂音がするたびに男の身体がビクリと痙攣を起こす。
そして、男の身体が完全に停まったのを確認するとふぅ、と息を付く。
「全く、しつこいんだよお前」
そんな言葉を動かなくなった男の身体に吐き掛ける。そんなクロスドにリエルは心配そうに声を掛ける。
「……傷……大丈夫なのか?」
「ん? あぁ、これか。血が大分抜けたからな。体が軽く感じる」
「バカなことを言うな……心配はしたんだ」
相変わらず戯けた口調のクロスドに、安堵か呆れか分からないため息を付く。
「で、オレの有意性を再確認したわけだが、まだ雇う気は無いか?」
「ココで嫌だと言ってもどうせ、今回見たくしゃしゃり出て来るんだろ?」
「嬢ちゃんに手に負えないことが起きたら、な」
さも当然と、クロスドは言う。それにリエルは苦笑し。
「ならば近くに置いてた方が気を回さずすむな。付けまとわれるのは気味が悪い」
「……ってことは――」
「雇おう。ただし、二つだけ条件がある」
「条件? どういう?」
「一つは解雇の権利は私ある。私が辞めろ、と言えば絶対従って貰う。それと――」
彼女は少し俯きながら、
「無理はするな……。今回見たくいらん心配をするのは趣味じゃない……」
それが照れ隠しの心配だと気づき、クロスドはにやりと口元を歪める。
「オーケイ嬢ちゃん、契約は絶対だからな」
「嬢ちゃん、ではない。リエルだ」
クロスドはリエルの言葉の意味を考え、すぐ理解する。なぜなら言い回しが彼自身のそれと同じだからだ。
「リエル・クロス。雇い主の名前も知らないのは失礼だろう?」
おそらく初めてみるだろうリエルの笑顔。
「イエス、マイマスター……」
それにクロスドも笑顔で答えた。
しかし、彼らは気づいていない……。先ほどの黒尽くめの男の身体が消えていることに……。