森は閑静(かんせい)で暗鬱(あんうつ)。音という物が失われると、いかに日々がそれに包まれていたのかがよく解かる。
森は騒々しいものだ。意識はしなくともそれを知らぬ者などはいない。風も無く、獣も無く、木々が動かぬ森は生きている森ではない。山神が弱っているせいなのか、森神が衰弱しているせいなのか――今考える事でも、自分が考える事でもない事をタントルは理解していた。これからも変わらずそうとは限らないのかもしれないが。
獣道未満の樹の合間。テーヴァの森はアスリースと比べて明るいが、下地が岩盤のため巨樹は少ない。そのおかげで下生えが混沌と生え狂い、間道でもなければ見通しが利かない。
そのひどく歩き難い空間を一行は走ると表現していい速度で進んでいる。先頭のリョウルクが下生えも邪魔な枝も取り払ってくれているので、後ろの五人はごくごく普通に走れるのだ。どの道、リズマンにかすり傷などありえないのでリョウルクも躊躇することなく、走っている。
気配はタントルには感じ取れなかった。
森は飽きる事無く静かだ。
それがなんとも口惜しいような、頼もしいような不思議な感覚である。聞けばあのリズマンはここ数年を街のみで生活していたと言うではないか。それは狩りを何年もしていないという事だ。何年もの「空き」を持つ者に判る気配が自分には判らない。
リョウルクの才能が凄いものなのか。
自分の努力がまだまだなのか。
わかる訳がない。タントル自身そういう考え方が嫌いだった。才能は好き嫌いの問題だ。リョウルクの技術が鈍らずに高い訳は、彼がその為に努力をしているからだ。たとえ無意識であっても。
だとしても、タントルはリョウルクという名のリズマンの底を測り兼ねていた。
意識的には不安定であっても、無意識的には途方も無く安定している。
当たり前の事を当たり前にこなしている。そんな感じだ。
目を離していてはいけない若者なのかもしれない。
――やはり今考える事ではないが。
「――!」
その音は聞こえた。誰かが息を飲む音。頭のどこかではまだリズマンの事を考えながらも、タントルは反応する事は出来た。短刀を抜き前面――心臓を護れて咄嗟(とっさ)に斬りつける事の出来る位置――に固定。低く構え身体ごと周囲を確認。飛来する物に注意する。
果たして襲い来る物は――予想とは違い巨大なものだった。
――獣!?
この場に最も合う、合ってはならないもの。
生物、それも気配も感じ取らせずに飛び掛かる――跳躍の音も立たせずに、だ――敏捷過ぎる戦闘的獣。
タントルは一瞬『獣』を見た。一瞬しか見られなかった。『獣』は目にも止まらぬ速力でまず一行の中央、絣を狙ったのだ。咄嗟にその後ろの昌が襟首を掴んで軽がると持ち上げる。結果『獣』は隊列を分断した。
「――のっ!」
『獣』が襲撃の勢いのまま駆け抜ける。麓側へ。
逃しはしない。左の軽短刀を抜きざまに投げつける。回転をつけて。威嚇だ。当たったとしても有効な打撃にはなりはしない。それで充分。
『獣』の眼前の大樹に短刀が斜めに突き立つ。刹那の時、止まるが敵――野生のものがこちらの隙を突けるはずがない――はすぐさま立ち直し、森を蹴りつけ走り出した。
「――――」
場の動き出す手がかりである。
逃してはいけない。
タントルは猛然と山を駆け下り始めた。
追うために。