ファンタジア

セザール17

 夕飯時。
 ハワードさんが作った普通の食事をありがたく頂いた。食べ終わってから、先生はハワードさんにもあのお茶を出した。意外にもハワードさんは、悪くないと言って飲んでいた。
「お待ちなさい、セザール」
 俺がそろそろ部屋に戻ろうと思って立ちあがると、先生が呼びとめた。
「あなた話の途中だったじゃないの。お話しなさい」
「え? あ、ああ」
 すっかり忘れていた話を思い出して、席に座りなおした。
「えっと、先生の器具を貸してもらいたいと、そこまで話しましたよね」
 まだお茶を飲んでいるハワードさんは、無言で視線だけこちらへ向けた。
「そうそう。何に使うの、あんな物」
「俺、ストレシアの砂漠に行っていたんですが、そこで石を見つけたんです」
 そう言うと先生は予想外に真剣な顔付きになった。
「何? あなたが目を付けるくらいだから、普通の石ころなんてことではないのでしょう」
「ええ。信じられない話ですが、……石、砂に変化する石を見つけたんです」
 風化による現象じゃないのと、きっとそう言われるものだと思っていた。
 しかし、違った。先生の顔を見た俺は固まった。先生は、今まで見た事ないくらいに厳しい顔をしていたのだ。
「え、あ。どう、したんですか」
 俺は訳もわからず動揺する。
「左様ですか。で、その石をあなたが持っていて、それをあそこで調べたいと言うのですね。では、その前にそれを私に見せなさい」
「は、はい」
 俺は何かに突き動かされるように、小走りに部屋に行き、石の入ったビンを持って戻って来た。それを先生に差し出すと、表情を変えずに受け取った。
「……今、行きましょう」
「へっ?」
 先生の唐突な発言に俺は目を丸くした。
 ハワードさんが突然、無言でカギを一つテーブルに置いた。診療所のカギだ。
 先生はそれを取り、立ち上がって入り口の方へさっさと行ってしまった。
「あ、ちょ、ちょっと」
 俺は全く訳もわからず先生の後を追った。
 家の外でやっと先生に追いついたが、先生はいつの間にやらローブを羽織り、ランプを持っていた。
 先生はずっと無言だった。
 あんな石に、何故先生は過剰とも思える反応を示すのか。全くわからない。けど、それだけの何かを秘めているのだ、この石は。
 診療所に着くと、先生はなれた手つきでカギを開けて中に入って行く。俺も急いで中に入り、ドアを閉める。先生は診療所の奥の一角、ちょうど、時計塔の根元に当たるところへ来て、立ち止まる。
 俺はここから先には何度か入ったことがあるが、入り方は先生とハワードさんしか知らない。
 先生は頑丈な石造の壁の前に立ち、壁から剥き出している石をランダムに押し始めた。いくつかの石を押し終えるた時、壁の奥からガコンという音が低く響いてきた。そして、壁に穴が開いた。
 先生は迷うことなくその穴の中へ入って行く。先生の姿がどんどん上へ昇って行くように見えるのは、すぐそこから上りの螺旋階段が始まっているからだ。
 先生が持ったランプの光を頼りに大きな螺旋階段を上る。しばらくすると、小さい鉄の扉が姿を現した。それをゆっくりと開け、中に一歩入って立ち止まる。
「少しお待ちなさい」
 そう言うと、先生はランプの火を消した。一気に闇は全てを我が物とする。ちょっと間があって、突然向こうの方で一対のろうそくに火がついた。それを合図に、左右の壁に沿って次々と明りが灯った。やっと部屋の全貌が見渡せるようになった。
 その部屋は、中央に大きなテーブルが一つあり、その上に何に使うのか想像もできないような形をしたガラス器具がびっしりと乗っかっている。突き当たりの壁には、天井まで届く棚があり、その中身はアカデミーの化学室と生物室の棚の中身をそっくりそのまま並べたような感じだった。そして、この部屋が時計塔の中とはとても思えないくらいの広さを感じさせるのはきっと、天井が高いからだろう。天井がとても高いし、一つぽっかりと穴が開いていた。換気用の穴だ。
 先生は部屋の奥に壁と向き合って立っていた。俺は二歩進み、テーブルの前に立った。
「あなたは、運が良いわ」
 先生はいつもの声で、壁に話しかけた。声は高い天井に反響し、微妙な震えを持つ。
「あんな物に偶然出くわした事も、あんな物を持っていても今まで無事でいられた事も、そして、あんな物を当然のように私まで持って来てくれた事も、運が良いのよ」
 そして、振りかえる。おもむろに持っているビンを開け、中から石を取り出した。
 光の加減のせいか、石は以前より透明度を損なっているようだった。
「あなたは、私が見込んでいたよりも、強い何かに惹かれているよう、ね」
 先生は、今度は手に持った石にぼそぼそと呟く。
「せ、先生。その石は――」
「そう。いかなる鉱石か、調べなければならないわね。それが、未知なる物ならば」
 俺の発言を遮り、とつとつと語る。
「必要ないわ。ここまで来てあなたには失礼な事だけれど、何にもする事はないの」
「……知って、いるのですね。その石が何か」
 俺は先生をじっと見つめる。瞬間、先生の体に光る靄が纏わりついている様に見えた。俺は目を擦り、確認する。
 そんな事はない、目の錯覚だ。
「なんて、大変な物を見付てしまったのかしら」
 そして、先生は言った。
「あなたは本当に、運が『悪い』」
「え?」
「これは、…人を不幸にする石だよ」
 先生は俺の目を見て言い放った。
「この世に唯一存在する、不幸の結晶」
 先生は石に視線を移した。そして、きゅっと石を握った。
 次の瞬間、驚くべき事が起こった。握り締められた石が突然、黄色に変色して崩れてゆくのだ。そして、先生の手の中にある石は全て砂になって流れ落ちてしまった。
「あっ?! ああっ!!」
 俺は何もする事ができず、ただただ見つめているだけだった。
 その砂は、そう、まるで砂漠を埋め尽くす砂のようだった。
「……先生。あなた、一体何を知っているんですか」
 俺は流れ落ちた砂を見つめる先生に声を投げかけた。
「……昔。本当にむかーしの話だよ。しかし、今を生きているそれを知る者は誰も、その事を語ろうとはしない。語ってはならない、そう感じているのだよ」
 先生はしゃがみ、砂を一掴み拾った。それを、俺が石を入れるのに使っていたビンに入れ、ふたを閉じた。
「歴史ができる前の歴史。コルトル、あそこが陥った時にやっとの事で最後の幕が降りたのだよ。もうあそこを掘っても何も出てこない。なのにだよセザール。お前はその過去の一端をこうも簡単に、見つけた。おかしな話じゃないか」
「コルトル? 遺跡の事ですか。あそこは今、一番盛り上がっている遺跡じゃないですか」
「それは、不幸ね」
 先生はふっと笑っているような、諦めのため息のような息をもらした。そして、先生は砂の入ったビンを棚にしまった。
「さ、行きましょう」
 先生は何事もなかったかのように、俺の隣を通って階段を降り始めた。
「は、あ、はい」

 

「そう言えば、あんた、旅の途中で女の子に会わんかったかえ」
 診療所を出てからすぐ、先生はいつもの調子そう聞いた。
「え、女の子? あー、そう言えば、最近いろんな女の子に会いましたね」
「…そうかい」
 突然ぶつりと会話を切った先生に俺は訝しげな視線を送る。
「ん? ああ、いやね、旅の途中でおもしろい女の子に会ったのさ。よく喋る子だった」
 俺と出会った、よく喋る子? ああ、あの言霊使いか。
「あーあー、わかります、たぶん。えっと、アリ、アリサっていう子じゃないですか」
「うむ。そうそうその子だよ」
「彼女がどうかしたんですか?」
「あんたと同じ匂いがした」
「へ?」
 俺は眉間にしわを寄せる。
「あー、変な意味じゃあないっすよ。石、あの石の匂いがした」
「石の匂い?」
「そ。あの石の匂いはあの石の軌跡。あれは、あんたが思っている以上に周囲への影響力があるのよん。きっと、あの子もあの子に接触した人も、何らかの影響を被るよ。まあ、後の方に行くほど力は弱まるとは思うけど、人それぞれかも知れないわん」
 一瞬、俺は得体の知れない寒気を感じた。
「じゃ、じゃあ、他の俺に接触した奴は」
「そうねぇ。なんて、言ったらよいのかしらねぇ。ご愁傷様?」
「……」
 全く笑える事ではない。

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