ファンタジア

フォルクス3

「例えばこの世から精霊の類がいっさい消えたとしたら、どうなると思う?」
 アカデミーに在籍していた頃だから、ずいぶん前だ。アルケミスト部門のなかでも頭でっかちと評判の、やたらに議論好きな友人が、そうふっかけてきたことがある。
「なんだ、そりゃ」
「例えば精霊の力が消えたら、風は吹かなくなるのか? それとも、風はまだ残って何かに変質するのか? どう思う?」
 知識と興味、それに生来の欠陥を気にした両親の勧めでアカデミーに在籍するフォルクスがソーサレスでもアルケミストでもなく、フェアリーマスターであるということは、学院内では変わり種として案外有名だった。彼がフォルクスを選んでそうふっかけてきたのも、それだからだろう。
「知らないね」
「……あのな。お前、フェアリーマスターだろう? 万が一…」
「だって、関係ないもんさ。精霊が世の中から一気に消えたら、どうせ俺、生きてられないから」
 色素の完全な欠落。それは人間としての自己防衛機能の欠落である。例えば陽光一つをとっても“日焼け”をすることのできないフォルクスは精霊の力で護ってもらえなければ“火傷”になる。そうした積み重ねは容易に死に繋がる……さすがに、ふっかけた相手は絶句した。原因は彼の見かけによらない厳しい境遇への同情だったが、結果は、ただ呆れて力が抜けたというふうだった。
「そういうことを笑って明るく言うなよな、お前……」

 あれはいつ頃だったか。
 たしか、魔道の名家ランディ家の世継ぎが行方不明とかで大捜索に駆り出されていた時だから、もう五年も前になる。その世継ぎというのが私生児で、正嫡の弟に家を継がせたいがために家人に謀殺されたのだ、という噂もあった。学生を駆り出しておきながら警備隊を出動させない、という中途半端な捜索が信憑性を際立たせて、その白々しさのあまり、学生たちも真面目に探す気が失せて、つい、そんな無駄話などをしていたのだった。
 今にして思えば、もう少し真面目に探してやってもよかったな、とも思う。その世継ぎとやらは当時、まだ十歳かそこらだという話だったのだ。
 とにかく、その時は半ばは思い付きで言ったのだったが、自分が精霊に依存して生きていること、その立場がいかにあやふやかをより強く自覚したのは、彼のその問いの時からだ。
 実際、フォルクスが苛烈な環境やその激変に弱いことに違いは無い。それは自覚しているから、独りで砂漠を突っ切ろうなどとは考えていない。できれば行商人のキャラバンか、そうでなくともある程度頼りになりそう連れの一人でも、この町で見つけたいところだった。
 連れを見つけるにもキャラバンを探すにも、じっとしていては始まらない。夕刻に一隊、キャラバンがやってきたという噂を聞いて、フォルクスは夜の町へ繰り出した。
 仰ぎ見れば月がいつにもまして美しい夜だった。だが、地上の騒ぎはそれすら霞めさせる。どうやら、やってきたのはずいぶんと大きな隊商であるらしい。それが露店を開き、町の店もその人出を逃すなとばかりに店を開いて活気付く。町は、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。
 ふらふらと店を冷やかしながら歩いていると、肩に人がぶつかる感触が当たった。と、同時に、予想に反しないドラ声で予想に反しない科白がわめく。曰く「痛いじゃねぇかよ、兄ちゃん」
「…芸の無いセリフ」
「あぁ? 詫びはどうした、詫びは」
 見るからに、ならず者にすらなりきれないチンピラだ。こういうのは下手に謝ろうものならつけ上がる。フォルクスは、にやりと笑って見せた。
「あんたこそいいのか? そんな口きいて」
「なにぃ…」
「魔法使いに喧嘩うってちゃ長生きできないよ、兄さん」
 これで及び腰になるあたり、頭の中は昼間のスリの子供と対して変わらない。なまじ年が高いぶん、引くに引けないのか……いきなり、相手はナイフを取り出した。
 そんな素人のへっぴり腰で突き出された所で、彼を護ってくれる風の精霊はびくともしない。端から見れば、いかにも馬鹿にしたふうな表情の男が紙一重で交している、と見えるはずだし、魔法をかじったことのある人間なら実際にフォルクスがどうやって交しているか、すぐに判るだろう。
「無駄だってばさ」
 言いながら、その言葉の影で精霊に一言。
 それで、チンピラの足元を狙って突風が抜けた。
「うわぁっ」
 声を上げて、チンピラは吹き飛ばされて尻餅をついた。
 いつしか、二人のいざこざの周りにはたっぷりと野次馬が集っていた。

©ファンタジア