ファンタジア

フォルクス20

 地方領主とはいえ“王”の称号を持つともなれば、王宮敷地内に長期間滞在するのに家臣や召使を連れてくる。そのため一戸屋敷を下賜されることが少なくなく、ステンダー卿もその例に漏れない。
「お帰りなさいませ、領主さま」
 その屋敷で、卿は若い女性の出迎えを受けた。赤茶の波がかった髪をした彼女は、宮廷の姫君たちがしばしば意図的に醸し出すような淑女的なか弱い雰囲気とは無縁ながら、利発で溌剌としていて、生気に満ちた美しさがある。
 先にレイチェルとの話題にも上った、ステンダー領王家付きビショップ各ソーサレスの現在は代行を勤める卿の腹心の家臣アーリン・クランである。二十三歳という若さと女性の身ながら病気療養中の老齢の師に代わり卿の補佐を良く努め、また遠縁の親族の娘ということもあり、ステンダー卿は彼女を信任していたし、よく連れて歩いた。当のステンダー卿の世継ぎがやや影が薄いこともあって、レイチェルならずとも、アーリンが領主の跡取と誤解や言い違いをされても仕方がないといったところだ。
「……わたくしに、悪い虫、でございますか?」
 舞会進行役の交替の話を受けて、アーリンは面白そうに笑った。卿も苦笑する。
「そうじゃな。レイチェルの思うところとはちと違うじゃろうが……
 社交場に出るたびにああも次々とその虫どもをはたき落としておったら、お前も婿の来手が無くなって困るじゃろう。少しは自重せい」
「お師匠さまも独身でございます。
 それに、すでに大役を頂いておりますからには、殿方にかまけてお役目を疎かにしては本末転倒というものでございましょう? そのような覚悟では殿方にも申し訳なく思いますわ」
 やれやれ、と卿はもう一度苦笑する。差し当たり、いかに役目を交替とはいえ補佐は必要になるかもしれないから、とアーリンに告げ、思い出したように付け加えた。
「舞会に客人を呼びたいと言っておったの。なんでも、今回の出先で世話になった者たちとか」
「……例の、捜索隊の現地指揮官の手違いで誘拐犯に仕立てられたという彼のことでしょうか?」
 その者も中の一人だろう、という返答を受け取ると、アーリンは思いついたように言った。
「お願い申し上げてよろしいでしょうか、領主さま」
「うん?」
「大変に奇遇なことながら、そのフォルクス・バームという者は以前にアスリースのアカデミーに留学させて頂いておりました折り、とてもお世話になりました、わたくしの大切な友人ですの。
 個人の事情で申し訳なくは存じますが、どうか、彼らの招待の際のもてなしをこのアーリン・クランに拝命頂けますよう、レイチェル猊下にお願いしていただきたく存じます」
「ルンドは、彼らはそのような所は嫌うのではないか、と言っておったがの」
「きっと来てくれますわ。さしあたり、わたくしより私信の形で彼にその旨、伝えておきたいと思っております」
 澄まして、優雅に一礼した胸中では、アーリンは悪戯っぽく笑っていた。言葉にすれば、
(是が非でも呼び付けてあげるから、覚悟していらっしゃい、白ウサギくん)
 とでもいった所であった。

 

 小一刻ほど、フォルクスはハワード医師の質問攻めに遭っていた。もっとも、最初の驚きから脱した後は慣れたもので、適当に答えたりはぐらかしたりしながら、自分の興味の答えをきっちりと引き出している。
「相手が一人な分、楽なくらいでしたよ。アカデミーに入った頃なんか、教官とか先輩とかに捕まえられて、まるっきり珍獣扱いでしたから」
 開放された後でセザールに、フォルクスは笑って肩を竦めながらそう答えたものである。
 外科医であるハワードの医院でフォルクスが興味を示したのは、義手とか義足とかいったものだった。学生時代、ホムンクルスの生成などという講義を受けていた頃に、その技術をそういったものに応用できないものなのか、と考えたことがあったからだ。教官には、そういう医師じみたことはアルケミストの考えることではない、と鼻先でせせら笑われたが。
 どんなもんでしょう、と訊ねてみたものの、ハワードは目の前の育った白子の問題の方に夢中でろくずっぽう聞いてもいないようだった。
 ようやく一段落して往診に出かけるときにも「もう少し聞きたいことがあるからできれば待っとれよ」と言い残して行った。
「なんか、凄い人だな……いろんな意味で」
 振り向いて話し掛けたリオは、いつにも増して上の空といった様子だった。
「悪いな。まるっきり、俺の趣味みたいなもんで」
 少なくとも話に取り残されていたのには違いないが、どうやらそれだけというふうでも無さそうだった。
「どうした?」
 尋ねると、ややためらいがちの返答が返ってきた。
「……まだ、帰ったほう良いと言う?」
 昨日の、彼女の父親や母国の話だと検討がついた。
「いいんじゃないか、別に」
 微かに驚いた様子が見てとれるリオに、フォルクスは苦笑した。
「人それぞれってことだろ。生きても死んでもどうでもいいとか、さっさとくたばれ、とかって親子兄弟が世の中に絶対に無いとか、事情無視で絶対に悪い考え方だなんて、俺には言いきれんからな」
 昨日、不満というか憮然としたのはむしろ、そういう“普通でない”考え方が感情的には先に来る自分自身に対してであったが、それは言う必要は無いことだ。
「それは……あなたにそいういうことがあるということ?」
「いいや。俺の方には、全然」
 リオの問いに、フォルクスはむやみに軽い調子で答えた。彼女や、傍で聞こえてはいるはずのセザールが「方には」という奇妙な言い回しに気付いたかどうかは判らなかった。
「もう一つのほうも、あれだな。どうせ“海の向う”への行き方なんか俺は知らないし行く気も無いし、刺客がどうのって調査はヴァンたちに任せとけばいいんだし、何かやって来るなら来てくれなきゃどうしようもないし……ほっとけばいいって、そんなもの」
 そうこうしていた時、開け放されていた窓から不意に小鳥が飛来した。もう幾度か目にしているウェノが留まったのは、珍しくもフォルクスの肩である。ルンドならば彼らに連絡をとろうとした時には主にセザールに宛てられた手紙であった。そもそも、もう用事というほどのものは無いはずなのだが、と思いながら魔法の彫像の小鳥が運んできた手紙を開いて、一瞬、フォルクスは我が目を疑った。
 署名を見る必要も無い。「親愛なる白ウサギくんへ」などという書き出しをするような人間は一人しか知らない。さらに、内容がまた、とんでもない。
「王宮の舞会に来い……って、何考えてるんだ、あいつは……」
 文末、『君が断るようならこっちにも考えがあるから、よろしくね。お友達がいるでしょうから、できれば連れてきなさい』とあるのが、ある意味で妙に恐い。何やら偉そうな肩書きを持っていたのは知っているが、ああいうのに権力を持たせたら始末に追えないの
ではないか、と以前から思っていた。
「……まぁ、どうせ船はクラリアットまでしか行かないだろうし……山越えの後がステンダー領がラジアハンドに変わるだけか」
 アーリンからの脅迫状だ、と半ばは冗談でなく言ってリオに見せながら少し考えて、フォルクスは返信をかつての学友アーリンのウェノに託した。
「……ヴァンには聞かせられんな。何言われるかわかったもんじゃない」
 あいつらがさっさと発ってくれて良かった、と心の底から感謝する。

 ちなみに、ルンドの手配でその舞会に彼ら三名を招待したいというレイチェルの意向が届けられたのは、この数刻後のことであった。

 

 こんなに楽しい気分は本当に久しぶりだ。
 アーリンはそっと、胸元に手をあてた。三年とすこし前から、肌身離さず着けてる、碧いペンダントを軽く握る。
 宝石どころか、その屑ですらない、碧塩石のペンダントなど、使うのは貧民層や田舎の村娘くらいのもので、彼女の身代を考えれば玩具以下の代物だ。みっともないからやめろと何度言われたか知れないが、これだけは頑として拒んできた。
 余人にどう見えようと、これは大切な思い出の品なのだ。
 放ったウェノが帰ってくると、アーリンはすぐにその返信を開いて、くすりと笑った。
『どうせ用があって行くつもりだったから、ラジアハンドへは向かう。一応努力するが絶対に間に合うかどうかの保証はできない。こういうことは、大陸の端から端までの一般人の移動手段の事情を考えてから行ってこい』
「まぁ、ちょっぴりひねくれ者の白ウサギくんらしい返事かしらね」
 留学していたころの半年は、こんな楽しい気分が毎日だった。
「大丈夫、きっと間に合うわよ。ねぇ、精霊さん」
 碧塩石には水の精霊が宿っている。他ならぬフォルクスが別れ際にそれを封じた。
「約束、したものね。次に会うときには盛大に歓迎してあげるわ、って」
 アーリンは、偉い人の前では出来ない、けれど彼女の中で一番魅力的な、無邪気で悪戯っぽい笑みを浮かべた。

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