ファンタジア

フォルクス16

 これ以上無いくらいに中途半端な別れ方だったな。
 アルサロサから馬を疾駆させながら、フォルクスは思った。結局、例のボロ小屋で再会してからはレイチェルとまともに一言も交さないままだったような気がする。あるいはこちらから壁を作っていたのかもしれないから、文句を言えた義理ではないが。
 その後、彼女からは一言もなく、ただ少しばかり表情が沈んでいただけだった。それを見て、逆に自分が何か酷いことをしたような気分になった。
 しかし、返答がないということは、レイチェルは自分の態度を是としたのだ。別の態度に改める必要は無いと、判断したのだ。
 嫌われたのだろうな、と、だから、そう思うことにした。事実は違うかもしれない。しかし、それならば、懐かしさから会いたいなどと思わずにいられる。おかしな期待をせず、これ以上、対人関係で傷つくなどという無様な気分を味わわずに済む。
 それでも、どうにも気分が晴れないのはこの曇天のせいだ、と押し付けなければ、落ち付くことはできなかった。

 

 当面の目的地をリルクリルの町と定めた一行は、今度は馬を歩かせて、まず街道を目指した。これまでは逃げる為に飛び出したのと追ってを捲くために、道からは外れて駆けていたのである。
 先に立つセザールの背を見ながら、フォルクスはこっそりと冷や汗をかいていた。さっき噂はいろいろなどと誤魔化してみたが、その“噂のセザール師”について、便乗してとんでもない噂をいろいろと流して面白がっていた、自分はその張本人の一人なのである。学生時代の悪乗りと行ってしまえばそれまでだが、やはりその当人が目の前にいるというのに最初から落ち付いていられるほどの図太さは、ちょっと無い。
(……危ないよ)
 耳を、かすかに風が打った。精霊の声。人といる時に彼らから語り掛けて来るというのは珍しい。端目からは判らないように、フォルクスは精霊たちにその詳細を求めた。
「……セザールさん、ポルターガイストって知ってますか?」
 唐突な問いかけに、セザールは訝しげに振り向いた。
「精神的に不安定な思春期の子供が無意識中に精霊と感化して、奇怪な物音を起こしたり、皿とか机とかを飛ばしたりする、っていう、あれです」
「ああ、知ってるが、それがどうかしたか?」
「たぶん俺、今、それが出来ると思うんですよ」
 まだ街道には出ない草原で、二頭の馬は横に並んだ。フォルクスは声を落す。
「追っ手が追い付いてきました。ニ十から三十ってとこです。宿に残った連中ならともかく、この面子ではまともな方法じゃぁ辛いでしょう」
 リオにもセザールにも、話がつながらないのは承知の上の言い方だった。
「リオの姿が見えてなきゃ連中を引き付けられませんから、先に逃げてくれとは言えませんが、きっと危ないんで、少し離れていてください。それから、あまり見ていない方がいいです。
 想像ですが、たぶん、あまり気持ちのいい光景にはなりませんから」
 遅れて、馬蹄の音が近づいてきた。集団には間違い無い。
 リオに自分たちの乗っている馬の手綱を渡して、フォルクスは馬を下りた。
「恐かったら、恐いって言っていいんだからな」
 そう言いおいて、それから、髪止めを外す。二人の連れに背を向けて、追っ手を待ち受ける形になる。
 フォルクスは力を抜いた。常に頭の片隅で意識している表情のことまで全てを空っぽに明渡して、全身で精霊の存在をめいっぱいまで感じ取る。
 フェアリーマスターとして精霊に語りかけるのとは違う。精霊の方に、自分が紛れこむ。あるいは、同化する。いろいろとあった、底に押しこめていた感情のすべてを精霊たちに開放して解けこませる。
 意識的に同化させることで、本来のポルターガイストなどとは比較にならないほど強い感化力が精霊の方にも生まれる。
 フォルクスの周り、僅かな範囲で、風がざわめいた。
“海の向う”の騎士の集団は、剣を構えた。
「最後の警告だ。その少女を引き渡せ」
「いやだね」
 フォルクスの応えたと同時に、風は強さを増した。ばらした白い髪が風に暴れ狂う。地の表情で、薄く笑みを浮かべる。それが一番、化け物じみて見える表情だ。
 風は強く、鋭くなる。
「貴様ぁ!」
 激昂した騎士が一人、フォルクスに斬りかかろうと飛び出してきた。
  バシュッ
 鈍い、肉の斬り裂ける音がした。騎士が胴から血を噴き出す。
 フォルクスを取り捲いた風が、鋭利な刃と化して彼を切り裂いた。
「く……怯むな!」
 次が来る。風の刃はその腕を切って飛ばす。表情と現象があいまって、彼らが一斉にかかってくるのは、計算の上だ。
 否。計算していたのは、馬上にあったときだけだ。今は、目の前でやって来る騎士たちが次々に切り裂かれるのすら、どうでも良かった。
 ただ、気持ちがいい。
 今は、自分と風の精霊たちとの区別がつかない。もやもやしていた気分を全て風に委ねて、それに自分も同化している。その開放感というのが、なんとも心地良い。
 笑っているのは本心だ。もやもやと貯まっていた気分は開放されて、一気に破壊衝動へと転化した。フォルクスは、あるいはそれに感化し同化した精霊たちは、その衝動のままに切り付けてくる騎士たちを別のなにかに見たてて切り裂く――破壊する。
 少しばかり頭の回るのがいた。暴風圏を迂回して、リオの方へすり抜けようとした騎士を視界の端に捉えて、フォルクスは――彼に感化した風の精霊は――手を伸ばし、その体を掴み上げて、地面に叩きつける。
「うっとうしいんだよ」
 かすり傷まで含めれば、すでに無傷の騎士はいない。切り裂いた彼らの大量の返り血を浴びて、フォルクスの白い髪も肌も、まだらに赤く染まっている。
「“海の向う”なんて人外魔境同然の、存在もあやふやな異世界から乗りこんできた分際で、俺の“仲間”に手を出すなんざぁ……」
 精霊と感化したまま、明確な攻撃意識ができる。風の刃はさらに荒れた。
「……化け物め!」
 リーダー格らしき騎士が呻くように吐き捨てた。
「そうだな。皆殺しにしてみるのもいいか」
 より化け物らしい演技のつもりだったが、半ばは本心だったかもしれない。なんだか、何もかもがこの連中のせいのように思えてきた。
 あからさまな怯えが見える。騎士たちの、すでに半分が動けるかも怪しい重傷だ。あるいは死者もいるかもしれないが、把握は出来ていない。
「あんたがたの王様にでも言っとけよ」
 血塗れた白い化け物が言った。
「お姫様はラージバルで化け物が護ってるってな。それから、二度と俺たちに近寄るな。宿にいた連中も含めてだ」
「何を……生意気な!」
 退治してくれようと若い騎士が突っ込んでくる。
 フォルクスの間近まで来た彼を、四方から風が取り囲んで切り裂いた。崩れ落ちたその騎士の影から、その血を浴びて出てきた白い顔は、まだ、元から血の色をした唇の端を引き上げて笑っている。
「やっぱり、皆殺しにした方がいいか……」
「わかった!」
 半ば悲鳴のように、リーダー格の騎士が声を上げる。
「手をださん。リオにも、貴様の仲間にも、二度と、絶対に、だ」
「宿にいた三人も含めて、だぞ」
「約束する。主君にも言い含める」
 まだ動ける騎士たちはリーダーの合図を受け、開放されたように、まだぴりぴりしていて、かすり傷程度ならつけられる風刃の中、仲間の重傷者や死体を担ぎ上げる。
「エーレブルー国の騎士の名と誇りに賭けて、二度と、リオ姫にも、ラージバル大陸にも、手出しをしない」
 言い捨てるようにして、騎士たちは逃げるように去った。
 騎士たちの姿が見えなくなると、風が止んだ。フォルクスは精霊たちと自分とを分化した。気分が多少はすっきりしたのは、自棄になって暴れた後に似ている。
 どっと疲労が襲いかかる。精霊と感化し同化していた間は、そもそも体の存在すら意識していなかったが、たぶんだからこそ、体の負担と関係なく体力を使うものだったらしい。
 立っていられなくて、その場に崩れるように座り込んだ。頭を下げて顔を腕と膝の間に埋める。人に見せられるような表情をしていられる自信は、全く無かった。

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